種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

持っている

 

クォーターライフクライシスとは、20代後半から30代が陥りがちな幸福の低迷期のことである。社会に出て生活に慣れてきた一方で理想と現実のギャップに違和感を感じたり、同年代や周囲の人と自分を比べて落ち込んだり、自分らしさを見失って自身はどう生きていくべきなのかさえ分からなくなる混乱したりする状態だ。

https://www.profuture.co.jp/mk/recruit/management/39512

 

20代以上の皆さんは経験ありますか?

私は今まさにこの状態なんじゃないかと悩んでいます。

 

以前の記事にも挙げたように、30代を目前にして様々思い悩んでしまっていて。

「他人と自分を比べる」とか「自分らしさを見失う」とかは寧ろ逆で、今までひたすらそれに苦しんできた分、最近ようやく自分らしさ的なものが分かってきたり自信を少しずつもてるようになってきています。

私が悩んでるのは、「このままではいけない」っていう強めな焦燥感でして。この焦燥感は、これまでの常に自分の課題を見つけて改善しようとしてきた病的なものとは感覚がちょっと違くて、歳を重ねることによる必然的なものな気がします。若かった頃のように無理のきく体ではなくなりすぐに身体に表れるようになってきて、でも年齢を重ねることで自分に求められるものも格段に増えてきて、これまでの精神状態でそれに適応していくことにもかなり努力が必要で。

そこで必要になってくるのが、過去とこれまでの自分を捨てることだと感じています。過去のトラウマに苦しみ続けたり、常に周りにアンテナを張って気遣ったりしてエネルギーを使ってしまっているようなこれまでの生き方であり続けると、年齢の変化に適応しながら新しいものを取り入れていく容量が確実に無くなります。というかもう無くなりかけていっぱいいっぱい、オーバーヒート状態になってきています(~_~;)

これまで「手放す」というテーマで何度か投稿してきましたが、今回の場合は「手放す」という優しい感じではなく、「自分で納得した上で思い切って捨てる」というくらいの強い意志が必要な気がします。これまで自分の中の大きな部分を占めてきた「過去」ですが、これからはつらいことがあっても自分が自分を守ってくれるんだという確固な安心感があると、過去に縛られ苦しみ続けている今の状態が、最早「あえて自ら(過去による生きにくさを)持っている」という見方が生まれてきて、これがさらに腑に落ちました。上手く言えないんですけど…過去による生きにくさに悩まされ続けてきたはずなのに、今や自分から選んでその過去の苦しみを持ち続けているというか、つまりはもう苦しまなくても良いのに自ら進んで苦しみに行ってしまっていると気づいたというか。この習慣がなくなるだけで、新しいものを取り入れるための大きな余裕が生まれるはずです。

この思考の変化は、インナーチャイルドが今の自分に心を開き始めた大きな証拠だと思います。以前は自分を大切にできず、インナーチャイルドも癒されないまま心閉ざしてしまっていたからこそ余計に過去に囚われてしまっていて、インナーチャイルドの努力を認めながら「手放す」という優しい方法でないと変わっていけなかったのかもしれません。縋る先もなく癒されなかったら、過去に囚われ続けちゃうのはそりゃあ仕方ないことだよね😢しかし今では、自分が自分を守ってくれると分かったからこそ、こうやって「捨てる」という強い決断ができるのだと思います。内なる子供の自分も、それを守ろうとできるようになってきた自分も、なんて頼もしいんでしょうか(;_;)性的虐待による嫌悪感とかは向き合うのもまだかなりきつくて目を逸らしているような状態なので、自分の中で納得できるまでにはかなり時間かかるとは思います。他にもまだ癒しきれずに次のステージに行こうとしていることへの怖さはありますが、これから先も必要な時には都度癒してあげられればきっと良いんですよね。一気に変われなくても良い、これまでの自分とは違う自分になってしまったとしても、それはその時の最善の自分であり私自身だから、変わることを怖く思わなくても大丈夫なんだ。

 

キモがられてもしょうがないけど、自分で綴ったはずの言葉が強く優しくて自分自身泣けてきました👼自給自足みたいになってる笑

気になっていた人に対する気持ちはもう無いけれど、その人との出会いや経験、大切な人たちとの関わりや支えという去年があったからこそ、自分を愛せない自分からここまで大きく変わることができたなぁと改めて感謝する気持ちになりました。忘れちゃいけないなこれは。

何回も言いますが、無理のきかない体になったことも無理しがちな自分にとっては本当にありがたい変化です( ´ ▽ ` )

 

 

話は変わって日常のこと。

今更ですが、本日のトップは先日友人に連れて行ってもらったアフタヌーンティーの写真でした🫖🍰自分でカップを選んで、そのカップに合わせたお皿やポット、カバーを用意してくださって、とことんこだわりを感じる素敵なお店でした。好きなものを極めるって本当にすごいことだし素敵だなと感嘆。好奇心旺盛な私には一つの分野をとことん突き詰めるってことができない😅

私の日常にはこうやってお菓子を食べお茶を飲みながら一服するなんて習慣が微塵もないので、紅茶やティーカップが大好きな友達のことを思い浮かべながら、こんな優雅なものが好きだなんて自分とは見えているもの・感じていることもそりゃあ違うんだろうなとか思ったり。自分の私生活を見直したいと思わされた時間でした。一方で、この休み方は私には合わないなとも思うこともできて(前までの自分だったら、こんな素敵な空間に癒されることができない自分を責めてました)。素敵な食器たちだけでも既に大感動なのに、良い香りのする温かい紅茶に可愛くて美味しいケーキ。これらが目の前に一斉にあるだけで情報量が多くて気疲れしちゃうという…_(:3 」∠)_やはり自分にはシンプルなのが合っているんだなと感じました。ただ、カップを選ぶ時にとっても可愛いピンクのカップがあったのですが、自分らしくないと選ぶのをやめてしまったことはちょっと後悔。こういうところからどんどん抜け出していきたい✊

 

新住居、入居開始から不具合が多くあるものの、開放感がありとても快適です( ;∀;)🏡スピ的な話になりますが、この賃貸自体が私に「気を張らなくて大丈夫だよ」「安心して過ごしていいよ」と言ってくれている気がするなんとも不思議な感覚で。いつもある「誰か隠れているかもしれない」「襲われるかもしれない」という強迫観念がこの部屋の中だと薄くなるんです(火事への心配はまだありますが😇)。これまでの賃貸にそんな安心感はなかったですし、なんなら先月まで住んでいたところはよく誰かに見られているような感覚になる部屋でした。温かい今日は窓を開け、春なりかけの空気をたくさん取り入れながら散らかった部屋を整理整頓。このお部屋で素敵な休日を過ごせて幸せです☺️🍀

 

こうやってブログに言葉として吐き出し、読み直して改めて咀嚼することで、自分自身が浄化され気持ちを切り替えて次に行ける感覚がします。いつも気持ちを切り替えさせてくれるブログって本当にすごいなあ。

今回の投稿も数時間かけて前半と後半で2記事に分けられるくらいの分量になってしまいました…小まめな吐き出しが引き続き目標です。自分の中で納得できるまで考えを巡らせてしまうので、小出しの習慣難しい(´`; )

少しずつ変わっていく私をまた綴っていけたら良いなと思います☺️🌱