種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

疲弊

お久しぶりの更新。

母と妹の助けもあって、先日無事引っ越しが終わりました📦

ここ最近は特にメンタル面の状態が良くなく、今日は脳内のごちゃごちゃを吐き出し。以前のキラキラは皆無、今日の記事は暗めです。

 

昨年末の疲れを持ち越し、2月初めに引っ越しを決めてからはそのことで頭がいっぱいになって更に余裕がなくなり、そして休日はろくに休憩もせずに引っ越し。何もしないで休めているのが、おそらく数ヶ月ぶりです。とは言っても、今日も業者対応や少し残った片付けもしてしまっているので、「何もしない」を徹底することがなかなかできないでいます😇

適応障害を発症する前から休み下手の自覚はありましたが、悩ましいほど休むのが下手くそで。振り返れば、休み下手なのは高校時代から始まっていたかもしれません。高校時代は休みの日も課題や予習に追われ、大学時代は課題の他に課外活動を詰め込み…。というか、ここまでくると最早どのくらいが頑張りすぎでどのくらいが怠惰になるのか程度が分からないというか。アラサーになって身体の衰えを感じ、倦怠感に悩まされている今、この休み下手がかなりネックになっています。思えば、若い頃の大量にあったエネルギーや回復力もそういうところばかりに使い果たして、遊ぶとか社会を学ぶとか、そういうもっと大事なところに使えるはずだったエネルギーも使い果たしていたかもしれません。そう思うと、世の中の成功者たちの大半は家庭環境に悩んだり家庭問題で無駄にエネルギーを消費したりせず物事に取り組むことができた人たちなんじゃないかなとか想像したり。

 

これに関連して。引っ越しが終わったつい先日、ふと母への認識が変わったことがあって。

私の家族は、特に祖母と私が休みなくしょっちゅう動き回っていて、父親に関しては双極性障害を患いまともに休むことができない人間です。だから、そんな私や姑である祖母、父からすれば、言ったことがなかなか改善されなかったり、しょっちゅう休憩したりしている母が鈍臭く感じられて、すごく要領が悪い人間に写っていたんです。

でもふと、世間一般的な人たちって、もっと休憩する頻度や時間、手を抜くことも多いんじゃないかと思ったんです。現に、私は怠惰な方だと思っていた妹まで、周囲の人や心療内科からやりすぎだと言われているとのこと。妹とほぼ同じような母だって、母の実家に行けば親戚たちにすごく頑張っていると評価され続けていて、それを見た私はずっとはてなマークでしたが、結局それが私達の家庭の基準がおかしいことを物語っているというか。私が当たり前にしてきた基準は家庭環境から来ているものであって、そもそも一般的ではないことにようやく気づき始めたというか。

母の実家の家族関係は良好なので、母は両親によって悩まされず比較的健全に育ってきたはずなんです。私や妹は幼少期から今の家庭環境なので耐性はあります(耐性というか麻痺している上でもなお不調をきたしている)が、健全な家庭で育ってきた人が今の私の家庭のような環境にさらされたらどうなるでしょうか。自分の身の回りのことも全て母へ押し付け、少しでも気に障れば嫌味を言ったり怒りつけたりする高圧的な父、そしてその親であり誰よりも仕事をこなす気丈な女性である一方、自分の凝り固まった基準を人に押し付けがちな祖母。そんな2人がいる中で私と妹のほぼワンオペ育児。母の感覚はもう麻痺してしまっていますが、嫁であるという立場で、問題ばかりの父方の親族から受けてきたストレスはかなりのものだったと思います。

友人の家庭もそうですが、父親に問題がある家庭の場合、母親はその悪しき環境下でも適応するよう洗脳されたような状態になっている印象を受けます。そしてそのような母親たちは子供に過干渉になったり、場合によっては子供と母親の共依存状態になったりね。あーーー何回か目にしてきたなこれ_(:3 」∠)_ 母の場合も過干渉、子供自身の意欲の否定、価値観の押し付け等々。今までは母の置かれた環境やこれまでの背景なんてあまり理解しないできたので、父だけでなく母への嫌悪もあり、その感情を抱く自責の念との葛藤に苦しみ続けてきました。しかし、母の生い立ちから現在までその置かれてきた背景について、今ようやく少しずつ分かってくると、母が本当に不憫になってきて。種類は違えども、母も過去の私のように感覚が麻痺しているわけで、歳もとってきたことで余計に頑なになってきてしまっていて。このまま病気とか認知症とかになっちゃったら、母の人生はなんだったんだろうとか考えると涙が出てきて。

「嫌われる勇気」のアドラー心理学でも言ってたけど、親子であっても相手の問題に足を踏み入れるな、相手の課題は相手自身が解決することだってあったから、今の私の状態はよろしくないんだろうな。あのストレス下でどう対処するか決めて行動するのは母自身の問題だし、私が母の人生を勝手に可哀想だと決めつけるのも母にとっては失礼なことなんだろうな。

と、こんな感じで泣きつつ葛藤しながら記事におこしているくらいにはメンタル弱ってます。祖母は子供のために祖父と離婚しなかったと言っていましたが、私にとっては父と母が離婚しないでい続けられることの方が寧ろしんどいです。家族のことを考えると、父方の家族が早くいなくなってくれれば幸せになれるのにとかいつも冷え切った考えになる。「お父さんが早く死にますように。」って漫画を知った時には、そんな作品が世に出ていることに感動した反面、自分もざわざわしてきちゃって早々に読むのやめたな。私はここまでの状態ではなかったけど、そういう家庭があるのも事実なんだよね。

こんな冷え切った心の状態ででずっと生き続けてきたからこそ、昨夏亡くなったお友達🐈との出会いはかなり大きかったんです。そのお友達がいなくなって半年。前のような心理状態に戻りつつあるので、なんとか阻止したい。お友達との出会いを絶対無駄にしない。

 

今回の気づきも、「あたしンち」が結構影響しているんです。あたしンちの登場人物を見ていると、人間って完璧じゃないし完璧じゃなくても良いんだって改めて思わされて。ここ数年間で漫画に救われていることは結構ある気がします。昨日は「推しの子」で、カミキが児童性的加虐の被害に遭っていたのを見て自分も心の奥底からざわついたし、加害者も人から虐げられた過去があっても子供に手を出すのはやってはいけないことだっていう内容に少し救われたりもして。そういう経験をしている人たちってなかなか周りにいないし話し合えることもないからこそ、フィクションであっても作品に救われるのかもしれません。

 

暗い話を吐きたいだけ長々吐き出してしまいました。ここまで読んでくださった方がいたら本当にありがたすぎる( ;;)

休み下手同様に、最近強迫観念的なものが強くてほとほと疲れてきてて_(:3 」∠)_「家の中に誰かいるかもしれない」「誰かこっちを見ているかもしれない」っていうのは幼少期からずっとあるのですが、ここ1ヶ月は「自分の家が火事になるかもしれない」「引っ越した先で殺されることになるかもしれない」っていうのが強くて余計に心休まらなくて。最近はこの強迫観念的なものにかなり悩んでいます。この話はまた次の機会に。

今日の内容を見て共感したり、自分の話もしてみたいと思ったりしてくれる人がいたら、本当に嬉しいです。