種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

与える

また心身共に調子崩してました、たねです。

やっぱり寒さなのかな、12月からなかなか疲れが抜けない_(:3 」∠)_

ということで、ハーフ毛布やカイロを購入したり白湯生活をスタートさせたりと努力し始めています。数年前の自分じゃ考えられない行いだ…😇

 

本日の表題「与える」ということについて。

昨年は大好きな人たちからたくさん救ってもらったり大切なことを教わったりして、「与えられる」こととそれに対する感謝を強く感じた年でした。

与えてくれる周りへの感謝や幸福感はある一方で、自分自身が満たされていなかったからか、逆に自分が誰かに何かを「与える」ことができるという発想や感覚は全くありませんでした。

年が明けて、同じく家庭環境に悩み苦しみ続け闘病している友人と久しぶりに会って話ができたのですが、これをきっかけに自分も誰かに何かを「与える」ことができるのではないかと考えるようになりました。

詳しいことは記載しませんが、友人は現在進行形で通院・服薬していて、つらい時は飲酒量も多めになってしまっているようでした。私に「強み」を教えてくれたその子ももう十分頑張っている、既に私よりもすごい強みをもった素敵な人であること、自分で気づけないほど身を削り他人のために頑張って限界に達したら自殺しようとしてしまう前に、小さな頭痛・腹痛や強めの飲酒願望など日頃の些細な自分の変化に気づいて無理をしないようにしてほしいこと等々伝えることができました。その子を大事に思う友人としての立場から、また、自分を認め幸福を感じられるようになるほど回復・成長した身として伝えたいことを伝えられた気がしています。個人的には自分の成功体験を人に押し付ける闘病経験者が一番タチが悪いと思っているので、そうならないように注意したつもりです。自己満が大きいと思いますが、この1月は私からこの子に伝える、「与える」ためにあった時・月だったように感じました。

「与える」という体験をしたことは、自分を満たせず周りに支えてもらってばかりいた私にとってかなり印象的な経験でした。この経験ができたのは、内なる自分が徐々に癒されてきたことがかなり大きな要因になったのではないかと思います。「嫌われる勇気」か「幸せになる勇気」のどちらかに、自分が満たされていない人が他人のために何かしようとすると失敗する的な話があったような気がします(記憶違い・解釈違いだったらすみません)。読んだ当時は単純に自分が教員を辞めたことは正解だったんだと感じましたが、今は当時とは異なる視点で、自分が満たされている人が他の人に何かを与えられるという意味を感じることができます。満たされているとは言っても、生まれた時から満たされ続けてきた人と満たされない状態を知っている人とでは与えられるものの質が全く違うと思うので、満たされないところから徐々に這い上がってこれた我々はきっと貴重でかなり価値ある存在だと思うのです…✊!自他ともに自己肯定感上げていくスタイル笑

この経験から、自分が人に与えることができるとしたら何を与えられるだろうと考えてみたときに、自分が性的虐待に遭ったことや昨今の子供へのわいせつ行為事件への問題意識から、「性教育」が頭に浮かびました。被害者に寄り添うというのは感情移入をしてつらくなってしまうので難しいと思うのですが、次世代を担う若者たちの健康的な性教育に貢献できたら良いのではないかとか考えたり。以前にも紹介しましたが、自分も相手も大切にするために正しい性教育が必要だと教えてくれたこの漫画⬇️も大きな出会いだったと思います。闘病アカウント時代、性教育に取り組んでいる団体を紹介してくださった方がいましたが、当時は「性」への拒否反応が強く見るのも苦痛でした。今でも拒否感は多少ありますが、それも結局正しい性教育がなされていないということであって…。すぐに行動には起こさずとも、選択肢として頭の中に留めておきたいと思います。

 

話は変わって、最近の私ですが、ふと気づくとあまり自分と向き合わないようになっていました(良い意味で)。以前のように常に自分の課題を探してその改善に注力するみたいなことが今はほぼない状態です。なんなら自分の内面よりも身体と向き合うようになり、冷えや倦怠感対策、メリハリのある生活への転換など、フィジカル的な努力をするように変わってきています。単に心よりも身体の不調を強く実感することが多かったからなのかもしれませんが、きっかけは何であっても劇的な変化です🙏

ただ、昨夜また寝ながら無我夢中で髪を触ったり抜いたりしてまして…(^q^)本当なんなんだろうっていう感じなのですが、この状態もいい加減嫌になってきて。

数日前に貧困問題や特殊清掃、犯罪特集とかの動画を見漁ってから余計にメンタルおかしい気がする😂すごく社会勉強にはなるので好きなんですけどね。特殊清掃に至っては、以前気になってた漫画を読んだ時にも同じくメンタル落ちたなあ。自分には受け付けられない仕事をやってくれている人たちがいるってのは、本当にありがたいことですよね。

火葬場職員のエッセイ漫画とかもね、想像力豊かなので最後までちゃんと読めなかった。好奇心旺盛なので自分の知らない分野を知ることが大好きなのですが、無自覚にも反動が大きかったようです👼こうやって振り返ってみると、病んでいる時はダークファンタジーやホラーを好んでよく見ていたんですが、今はそういうものに触れると不快感があってグロ耐性も無くなってきているので、当時はあまりまともな状態ではなかったんだなと思いました😓

脱線しまくってますが、自分の価値観の変化に動揺することもありまして。以前は必ず行っていた好きなアーティストのライブに今は行く意欲があまり湧かなくなっていて、それが自分自身割とショックで。あとは、実家はやはり嫌いでも、両親が贅沢せずに自分を大学まで行かせてくれたことや奨学金返済に苦しまずにいさせてくれたこと、母に関しては父方というストレス因子まみれの環境でほぼワンオペで育て続けてくれたことへのありがたさに気づいたり。今までは実家を嫌いでいることが善か悪か、親孝行をしなきゃいけないか全く関わらないか等両極端な二択で判断しがちで、複雑な心境になっては悩み苦しんできたので、この感覚には動揺しました。今でも親を肯定する言葉を出すとやはり胸が苦しくなる部分もありますが、親に苦しめられて嫌いなのはそれはそれ、親が自分のために尽くしてくれた事実はこれはこれというか、事実を切り分けて考えられるようにもなってきているのも大きな変化で。家の問題はやはり徐々にしか変われないけど、変われること自体すごく素晴らしいことで、距離を置いたことで見方も変われて来ているので、家を出るっていうのは単なる逃げではなく一種の手法なんだなって改めて思います。

こうして見てみると、内面と向き合う頻度が減ったことで、こういった自分自身の価値観や感覚の変化に余計に動揺したり混乱したりして髪を触ってしまっているのかもしれないと感じました。明日の貴重な休みで価値観と物の整理・断捨離するぞー✊

 

結局表題の内容と近況が同じくらいの容量になってしまった😇前よりもかなり適当な文章と構成になってきている気がします。それも良い意味で捉えていこう( ´ ▽ ` )笑