種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

調整

連勤・PMS・寒暖差のトリプルパンチで心身共にしんどい中大きな業務を1つ乗り越え、ご褒美に華金で寄ると決めていた定食屋さんが臨時休業していた悲しいたねです( ;∀;)🍂

不運を嘆きたくなりましたが、疲れて嘆いて終わりだと頑張った自分が可哀想なので、そういう時なんだと軽く流して一息(これも成長笑)。本当よく頑張った😓👏

 

今日もここ1週間くらいで考えた沢山のあれこれを、箇条書き形式にして思考整理します💭

疲れが勝って前のようなひらめきや高揚感はありませんが、大事な考え事だと思うのでまとめておきます✍️

  • 自分は何か1つのことに集中・注力しない方が良いかもしれないと考えた。例えば、これまでは教員になるという1つの目標のために、自分自身の心身の健康や人間関係、その他大事な経験など様々なものを蔑ろにしてきた。大好きな漫画作品にも、現実に戻ってくるのが難しくなるほどその世界に入り込んでしまっていた。恋愛に関しても、自分のことも相手のことも見えないくらいに一直線に動いてしまっている。「1つのことに集中したら周りが見えなくなる」っていうのを体現しているような状態。やりたいこと・興味のあることの範囲が広いので、1つに集中すると時間もエネルギーも消費してしまい他のことができず効率が悪い。時間・エネルギーの浪費癖をやめ、広い範囲で程よいエネルギーをかけたい。低燃費志向でいきたい。

 

  • 料理は自分の生活を豊かにするものだと分かってからは義務感が減ったが、第3の自分が現れるようになってからは、自ずと①(前投稿参照)の自分を労わる・癒してあげるために美味しいご飯を作って食べさせてあげたいという気持ちになってきた。上手く表現できないが、今までは①と②だけで自分が構成され、それらが主体・主観となっていたので自分を正確に客観視することも、自分を労わる・癒すという発想自体も無かった。なのに③が現れてからは、何だかよく分からないが自然に自分を労り認める言葉をかけたり無理しないように行動を選択したりできるようになっている😳これは明らかに大きな変化で、③が現れたことはこれまでの自分にとってかなり大きな意味をもつことだと感じる。

 

  • ③が現れたことも関係しているのか、それとも単に加齢によるものなのか、自分の実態とセルフイメージ的なものが一致しなくなってきた。今までずっと続いてきた、負けず嫌いにより汚く・キツくなった言葉遣いや、その反面でたまに出る幼児のような話し方、物を丁寧に扱わない粗暴さが特に気になるようになり、言葉遣いや仕草、姿勢などを上品(とまではいかなくても、落ち着いた形)にしたいと思うようになってきた。今が変わるチャンスだと思うので、①の自分を取り残さず癒しながら、今の自分自身もアップデートさせていきたい。

 

  • こけももさんのタロットたちから、「あなたは自分のもっている魅力を持て余している」「もっているものが十分あるのに自己評価が低い」と言われた。きっと、「私なんか価値がない」という認知の歪みから、頑なに自分のプラス面に目を向けようとしてこなかった今までのことが直結した鑑定結果だと思う。この「持て余している」という表現がとてもわかりやすかった。自分の良いところを今の良い状態でもう一度見つめ直し、もっと自分を肯定し受け止めていきたい。

 

  • 先日親くらいの世代の人たちから「可愛い」と言ってもらえることがあった。人からの褒め言葉を全く受け入れられないほど容姿コンプを拗らせていたが、「価値観や人を見る目など、様々な面で成熟した人生の先輩たちに可愛いって言ってもらえるなら、それはかなり喜ばしいし価値あることなんじゃないか」と考えられるようになってきた。自慢ではなく事実として、これまでも「可愛い」と言ってもらえたことはあったが、ほとんどが親と同じかそれより上の世代に言われていたので、「自分の子供とか孫みたいな感覚で可愛いんでしょ」と思い、社交辞令として聞き流して喜ぶこともなかった(この時点でだいぶ捻くれてる笑)。今思えば、上の世代からは評価されても自分と同じ世代には評価してもらえないということもコンプレックスにつながっていたのかもしれない。容姿のことに限らず、褒め言葉は素直に受け取り喜びたい。(余談:闘病時、母親に年配者から褒められたことやそれに対する自分の考えを話した時、「そうだろうね、今は若いからチヤホヤしてもらえるんだよ。若くなかったらそんなこともないんだから」的なことを言われたことを思い出し、それ思っても人に言うことじゃないし親としても言うことじゃないよなと思った。何なら他の人たちの方が「若いからって誰でも可愛いわけではないよ、その人がもっている良さがあるから可愛がってもらえるんだよ」と優しく教えてくれたし、やっぱり私にとって大切な人たちは家族ではない。こうやって振り返って改めて自分の家庭の不健全さに気づくと悲しい気持ちになる😢)

 

生理前はいつも父親に関するトラウマが呼び起こされるんですが、今回は適応障害発症のきっかけとなった教育実習担任のトラウマの方がやってきてなかなかしんどかったです_(:3 」∠)_ これも投稿できる時があったら投稿したいけど、⬆️の親の話みたいに、やっぱり悲しい思いをしたものは今書き出しても悲しかったし不快だったから、元気で余裕がある時があったら気まぐれに綴ってみたいと思います。自分の家庭は良い家庭ではなかったんだと本心から認めるのって、それを認めたくない気持ちもずっとどこかにあり続けてきてるから本当に難しいね。

師走、まさに字の如く慌ただしく過ごし、あっという間に今年も残すところ半月を切りました。今年は本当に良い方向へ激変の年でした。年末、久しぶりに会える友人から何か素敵なパワーを貰えそうな気がして楽しみにしています☺️なんとなくですが、残りの十数日は「自分の中の①を癒して元気にすること」が自分にとって重要な課題だと感じています。残り半月も、自分ができることを一生懸命やって今年を終えたいと思います🌄