種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

ぶわぶわ(東京備忘録② 人への感謝編)

2つに分けた自己満備忘録、続きを綴っていきます。②は主に大切な人たちについて。

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3日目:闘病アカウント仲間のフォロワーさんにお会いする

数年前までInstagramにて闘病アカウントとして実体験漫画を投稿していましたが、その初期からずっと支え続けてくださっていた方と、約5年の時を経て実際にお会いすることができました🙌正直、3日間の中でこれが一番良いエネルギーをもらえたと感じています。

DMでのやりとりでもずっと共感の嵐だったのですが、実際お会いしても運命共同体か?というレベルで最初から最後まで何を話してもずーーーーーーーっっと共感がデフォルトで、最後には「もう共感が当たり前なんじゃないか」と感覚がバグるほどでした笑 上辺の共感ではなく心からの「分かる」なので、お互い沢山語りたいことがあって自分の気持ちを適切な言葉で相手に伝えたくてずっと脳フル回転状態で、分かり合える嬉しさもぶわぶわで、そんな状況にあることもお互い分かることができてて。相手への壁を感じず、寧ろ重なっているような感覚というか。人と会っていてこんな感覚になるのは生まれて初めてでした。

普通に生活してたらここまで共感できる人には滅多に出会えないですし、そもそもお互いの抱えてきたもの自体が重いので共感の質も全然違くて。その点については出会いをくれたSNSには感謝です。私生活においてもちろん話し合える友達はいますが、親へのトラウマやそれによる生きづらさなんて誰でも経験している訳ではないので、そもそもそれを相手に打ち明けるかどうかというレベルでしかなくて心からの共感を得られることはまず難しいですし、具体的にどうしていったら良いかという改善策なんてとても話し合うことはできません。ですが、この日はお互い探り合うこともなく、自分がしたいように深い話をすることができるという。そしてお互いのことが分かっているからこそ、相手に合った現状に添った返しができるというか。こんなこと今まで本当になくて、逆に有り難すぎて怖いくらいです(°_°)

そしてまたこれもかなり大きな変化なんですが、「大好きな、大切な人の言葉や愛情は真摯に受け止めよう」と初めて思うことができました。今までは人から褒められたり肯定されたりしても、自分自身が過剰に自分を卑下しているので、謙遜どころの話ではなく全部社交辞令・お世辞にしか聞こえず、全力で「そんなことはない!!」と否定し跳ね返していました。同僚の人に「素直に受け取ってよ」と言われたこともありましたが、それでも断固として受け取りませんでした。正直、この日フォロワーさんから褒められたり好意を伝えられたりしてもらえた時も、嬉しいのに心のシャッターが下りていて素直に受け止めることができていませんでした。後から振り返ると、それは「好きな人から好かれる・受け止めてもらえるはずがない」「好きな相手が私を肯定してくれるなんてそんな幸せなことが私に起こるわけがない」と強く思い込んでしまっていたからだと分かりました。誰にも言われたことがないのに、本当に一体どこからこの認知の歪みはやってくるのでしょうか。今回こんなに嘘偽りなく心から共感できて本当に大切だと思えた相手に対して、自分も同じように心からの好意を伝えた時、もしそれが全く受け止めてもらえなかったらとても悲しいことだなと初めて心から感じましたし、自分も同じことはしたくないと思いました。そう思えるほどにその方との時間は素敵で大事なものでした。

この件で、「愛し上手は愛され上手」「自分の気持ちを受け止めてもらうよりも、相手からの気持ちをしっかり受け止める方が難しい」というこけももさんの言葉を思い出しました。これまでは対自分ばかりの狭い視野で他人との境界も曖昧になり、他人は自分とは全く別もの、別次元のものということも言葉で言い聞かせながらも体感的に分かっておらず、相手に過度に期待したり依存したりしてきたと思います。それが自分の世界だったので俯瞰するなんてとてもできる状態ではありませんでした。「愛されたいけど、自分は誰からも愛されるわけがない」という自分中心の片想い体質に悩んでいましたが、相手の気持ちを真摯に受け止めるということを徐々に学んでいき、「自分が相手を愛したい」と相手を思えるような両想い体質に変わっていきたいです。書いてて思いましたが、これは本当に自分に余裕ができないと気づくのは無理だ😱この2つの体質について詳しく知られたい方は、こけももさんのタロット動画をご参照ください🔮人からの好意・厚意をまた拒絶しそうになっても、相手を大切なフォロワーさんだと思って真摯に受け止めていこうと思います。

夢の国よりも夢のような時間でした。このすごく大事な時間を自分の勇気に変えたくて、頂いた物全てお守りのようにしています。この先何かで躓くことがあっても、お守りを見てこの時のことを思い出し勇気にして前に進んでいきたいと思います。本当にありがとうございました🐏

 

実は、1日目・2日目を共にした地元の友人も家庭環境による生きづらさを拗らせていた人だったので、この3日間その生きづらさやこれからどうしていきたいかを前向きに語り合うことができたのが本当に心の支えになりました。語り合った時間は本当に幸せで価値あるものだったと思います。そんな大切な人たちが本心から私を肯定してくれて、私にとっても心から大切な人たちだから、「『こんな』私『なんか』」というような言葉を使うのはその人たちに失礼だと本気で思えるようになりました。行きすぎた謙遜は相手に失礼というのは何回聞いても理解できませんでしたが、今ようやくその意味が分かるようになってきました。闘病時代からコロナ自粛期間と長い間人と会えていませんでしたが、ようやくこうやって気持ちに余裕をもって会って話すことができるようになってきて、それもかなり良い影響を与えてくれている気がします。

そんなふうに充足感溢れながら地元に帰り実家に寄ったんですが、その素敵な気持ちを一瞬でぶち壊された挙句、嫌な気持ちが態度に出た自分をまた責めなきゃいけなくなるような心境になってですね…。この自分を責めなきゃいけなくなるのも認知の歪みの一種だと思うのでこの思考癖もどうにかしたいんですが、諸悪の根源というか実家の威力を改めて痛感しました。そして、この嫌な状態に一度でも身を置くとその環境下に適応しようと自分の中の防衛本能がまた発動して、どばどば自分の中に良い運気・エネルギーを入れ込んでいた扉も自分の心もパタンと閉めちゃおうとするのも感じました。ほんとに根深すぎる💢💢フォロワーさんとも話しましたが、それが通常でない人たちってどんだけ気持ち楽なんだろう。私たちのような人間は苦労して苦労してようやくスタートラインくらいに立てるというのに…それでも闇堕ちせずにここまで来れたこと自体が尋常じゃないくらいに偉いこと・素晴らしいことだから、絶対幸せになりましょうね💪💢❤️‍🔥

 

と、こんな感じで大切な人たちからどばどば良いエネルギーを貰って、ぶわぶわに嬉しくなる超絶素敵な3日間を過ごしました。なんなら帰宅後も、別の友達から嬉しい報告(しかも私が以前直感で予言してたこと)があって更に幸せな気持ちになるという🤯その嬉しい報告が連鎖して何か良いことが起こりそうだなとなんとなく感じてまたぶわぶわしたり笑 不幸状態が通常運転みたいになっていましたが、人間こんなに楽しく幸せな時間を過ごしても良いんですね😳認知歪むとこんなことすら分からなくなるんですよほんとに…

実家の負の引力に引き込まれず、何よりも大切な人たちとの関わりに感謝しながら、そんな人たちが肯定してくれる私自身を大切にしながら、頑張りすぎずゆる〜く自分のペースで着実に、前に進んでいきます✊🌱本当に大きな成長のきっかけとなる3日間でした。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました😊🌷

 

 

(余談)この3日間を過ごす前と後では、藤井風の「もうええわ」の歌詞の聞こえ方・響き方も今までとは違うように感じられます。この歌詞にも救われながら日々過ごしていきたいと思います。藤井風は音楽も歌詞も本当に優しいというか、UVERとはまた違った心の救い方をしてくれるので大好きで聞いています。という自分の好きなもの紹介でした(*´-`)皆さんは好きな曲はありますか?


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