種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

あたしンち

最近の日課あたしンちを見ることです。


www.youtube.com

小学生の時は何の気無しに見てたんですが、大人になった今見てみるとオープニングだけで泣けてくるという本当に良作です。

あたしンちを見ていると、こんな「誰かと一緒に過ごすなんて考えられない」「家庭をもつことに良い印象がない」なんて長年思ってきた私でも、誰かと一緒に暮らすことの素敵さや憧れを感じることができます。まあ、自身の成長のおかげもあって思えるようになったことなんですが(⌒-⌒; )

一方で、「毒親」が頭をよぎって不快さを感じることも度々あって。まあ真の毒親とは程遠いんですが、お母さんの子供への叱り方が自己中心的・否定的で良くないなとか、お父さんのお母さんに対する命令口調が嫌だなとか。純粋に楽しめない話もそれなりにあって。というか書いてて思ったけど、私の見る目が偏ってるというか、自身の経験からそういう見方になっちゃって勝手に苦しくなっちゃってるかも😭

でも、実はこれが一般的なよくある家庭なのかもしれないと思うと、過去にセラピストさんに言われた「あなたが自分に完璧を求めるように、あなたの両親に対しても完璧を求めてしまっている」という話も頭をよぎって。あのお母さんの叱り方でも逞しく生きてるみかんやゆずを見ていると、私が弱かったのかなとか思ったり。いやだめこの極端な考え方は!たちばな家の環境イコール私の家庭環境ってわけじゃないし、確かにどんどん認知が歪んで拗らせていく中で家庭への嫌悪感と共に理想も高くなって、親に対して余計に厳しい目になってしまっていたのもあると思う。こうやって冷静に自分の置かれた状況を見る視点を持てるようになったことが大成長大進歩だよ👍👍なんて、文字を打ち込みながら感情が真逆の向きで行ったり来たりするような自問自答をしたりね。大変だね(他人事笑)

オープニング曲「さらば」の「帰ろう帰ろう帰ろうよ家まで」のフレーズがいろんな意味で胸に沁みるんです。そう思える家庭で暮らしたいなと憧れる反面、自分の家はそう思える家庭ではなかったのかなとか考えちゃったりもして。自分の家はそう思えないなと感じながらも、実はそんなことないんじゃないか、そう思えない自分が我儘だったんじゃないか、自分が勝手に機能不全家庭と思い込んでレッテルを貼ってるんじゃないかとかまた考えちゃったりね。自分の家庭が幸せな家庭ではなかったと認める・受け入れるのに、どうしてこんなに何度も葛藤するもんなんだろう。

こんな感じで、いろんな感情になりながらあたしンちを見ています。こういう感情でこの作品を見ている人がどれくらいいるんだろう。「おもしろーい!」って感情だけで見られることが、どれだけ幸せなことなんだろう。あたしンちを見ていると、完璧な人間なんてほとんどいないんだろうということを改めて教わっている気がします。完璧でなくても誰かと一緒に暮らすことでの幸せがある、それがこの世の中の一般的な幸せな家庭なんじゃないのかなとか思ったりね。分からないので想像しかできないんですが…

固定費見直しのためWi-Fi環境無し住居に引っ越すことが決まり、「引っ越すまでに全話見なきゃ」という最早半分義務感で見てしまっています😭純粋に楽しんだ方が幸せなのに、娯楽も義務にしてしまいがちなのが相変わらず生き下手というか何というか…まあ全話500話以上あるようなので無理確なんですけどね( ´ ▽ ` )ハハハ

 

本当はもう一つまとめたいことがあったんですが疲れてるので程々に、今日はここまでにします。自重できるようになったの偉いよ〜〜🙆‍♀️

ではまた数日後にお会いしましょう🙋‍♂️🌱