種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

「手放す」こと ③過去の栄光

えい‐こう〔‐クワウ〕【栄光】

幸いを表す光。「神の栄光

栄光(えいこう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 

先日まとめようとして力尽きたことを今日まとめてみる。

ここ数年間、「変わる」ということについて考えさせられることがよくあるのですが、そのうちの一つとして、最近は30代を目前にして自分の在り方について考えるんです。

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人生最初で最後の1回目、生涯完全な人生1年生(新入生)なので、30代がどんな生活になるのかなんて全然分からないんですが、確かに30代は中堅と呼ばれる段階に足を踏み入れる訳で、今まで「若いね」「若いからしょうがないね」で済まされていたことが許容されなくなるだろうっていうのはすごく想像できるんです。ていうか書いてて思ったけど、自分が脅かされることに対する想像力と危機意識が過剰に働きすぎて息苦しい😇

そう考えると、教育学部を出て教職もリタイアし、全く畑違いの分野で奇跡的に雇ってもらえたのに、頑張りすぎないよう自分のバランスを取ることに精一杯でその分野の勉強もまともにできず、ただ作業として業務をこなすだけの日々を数年間送ってしまっている今の状態をこの先も続けてたらやばいという危機感を、最近ビッシビシに感じてまして…

その点、頑張ることを強要されず自分のバランスを取れるよう試行錯誤し続ける余裕を持たせてくれた今の職場には本当に感謝なんです(;ω;)今まで無理なく働けているこの職場でも、このままの状態をずっと続けるということは甘えになると考えます。過剰に頑張りすぎて適応障害を発症した時は「甘え」という言葉に悩まされましたが、回復し試行錯誤しながら自分を認められるほど成長できた今の自分には、ようやく本当の意味で「甘え」になる寸前の状況だと思うんです。

これまでの数年間、病気を再発させないよう無理しないことや気持ちを切り替えること、自分を大切にすることを、悩みながらも身をもって一生懸命学んできました。この数年間が無かったら今の私はないので、今までのように「私のやり方が悪かったんだ」「何をしてきたんだ」なんて悔やんだり自分を責めたりしません(めちゃくちゃな成長😭✨)でもその一方で、「これまで頑張り続けて教員になる目標まで叶えられた自分なんだから大丈夫だろう」という俺は本気出してないだけ精神みたいなところがずっとあったのも確かで。

若いうちは見栄えやステータスに魅力を感じがちと聞きますが、これも若さの至りなんでしょうか。そりゃあ20代の大人とはいえ、その人生の半分以上は周りの大人の評価や理想に依存するザ・優等生ちゃん(悲しい皮肉)だった訳ですから、人生経験も少ないと学歴以外に大切なものも見えにくかったというか、勉強ばかりしてきたからそれ以外に誇れるものも少なかったのかもなんて。なんか予定外にも踏み込んだ話になってきたな(⌒-⌒; )

20代はそれで仕方ないのかもしれない。でも、30代以降もそうやって何年も前の、最早過去の栄光に固執するのはやばい大人だと思うんです。職場にいた「この人ただ歳だけ取ってきたんだな、今まで何して生きてきたの」と嫌悪してきた人と同レベルの大人になっちゃうというか。数あるやばい大人の一つ、「過去の栄光に縋り続ける大人」になっちゃうと思うんです😱こうやって客観的に気が付けず、過去の栄光に固執し続けてしまっている人も多いのかもしれない。

若者に価値観を押し付ける訳でも軽視する訳でも全くないのですが、人生80年で考えれば学生時代の栄光なんて微々たるものなんですよね(これを学生に言ってはいけないと思う)。大人になって大事なことは過去の栄光に縋り続けることではなく、どれだけ努力を継続していけるかということだと最近気づくことができました。引っ越しが終わって落ち着いてきたら、仕事の勉強に取り組むようにしていきたいです。体調面のこともそうだけど、30代を目前にして自分自身のあらゆる価値観の変化を感じています。アラサーって奥が深いなあ😌個人的には30代が一番輝いて見えるので、素敵な30代になりたいと思っています✊

 

過去の栄光と話は変わりますが、大人になっても幼少期のような変化への柔軟性はもち続けていたいものです。例になるか分からないけど、小さい時は積み木で楽しく遊んでいて、少し成長して他の楽しい遊びを見つけて積み木で遊ばなくなっても、積み木に縋り続けたり積み木で遊べなくなった自分を責めたりすることってないじゃないですか。でも今は、好きだったことに楽しみを見いだせなくなってしまったことを悲観したりずっと好きで居続けようとしたりしちゃってたりしてて。自分が変わることで、自分が自分じゃなくなるんじゃないかっていう感覚が潜在的にあった気がします。変わることはこれまでの自分を否定することになる気がするとか、つらい自分が自分であるという認知の歪みもあって、また一皮剥けようとしているところを大きく阻害しているというか。数年前までは、自分は幸せになってはいけないとか、幸せなことがあったら何か大きな不幸が起こるんじゃないかと思ってしまっていて、一皮剥けるとかスタートライン以前の問題だったな。「変わってもあなたはあなたです」と、久々に見たこけももさん動画でまた背中を押してもらえました。その考えが腑に落ちるまであと少し💭

子供や学生のように、若いうちは家庭や学校という狭い環境下で保護者に依存しないと生きられないという難点がある一方で、先生や周囲の大人、友達など、自分を助けたり正したりしてくれようとする人の割合が多いんじゃないかと思うんです。でも、大人になると歳を重ねるごとにそういう人たちの割合ってガクッと下がるんじゃないかと思ってて。大人って自分が凝り固まって他人からのアドバイスを柔軟に聞き入れられなくなっちゃってる人も多いし、相手を助けたり間違った道に進んでいるのを正そうとしたりすることが寧ろ衝突を生む可能性を上げたり自分の限られた労力・気力を使う羽目になるから、よほど大切な人じゃない限りは放っておくのが吉みたいになってみんな避けがちというか。友達も価値観の違いやそれぞれの生活があって疎遠になっていっちゃうし。と考えると、大人は子供と違い自由でいられる反面、自分自身を律する力や変化への柔軟性をもち続けないといけないという大変さもあるんだなという持論にたどり着いたり。この世で真っ直ぐ健康的に生き続けるって本当に難しいし、人間って本当に不完全な生き物なんですね。

 

自分自身の価値観の変化を感じたり犯罪のニュースを見たりした際、こうやって一人で物思いにふけっています。

全く関係ないですが、オタ離れをして久々に見たアニメですごく胸が躍って我ながら驚いたことがあって。主題歌が最高なのはその通りなんですが、アニメ自体の世界観とかキャラデザインもすごく好みで、純粋にアニメを楽しめたのがかなり久々だったので新鮮な気持ちになりました。振り返ってみると、ここ10年近くアニメも音楽も何事も、神作品・大好きなアーティストばかりに執着しすぎていたなあと思いました。NARUTOとかコードギアスとかの激推し神作品と比べれば内容はかなり薄いんですが(笑)、純粋に楽しみながら見られています。

何事もこのくらいフラット・フランクに向き合えたら良いなと感じました。柔軟性・フラットさ・フランクさ、持ち合わせていたいです(*´-`)💐


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