種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

「手放す」こと ②堅苦しい固定概念

前回の続きです。

tane-plants.hatenablog.com

上司から助言をいただいた日から、周りを見る目がまた少し変わってきました。この助言をきっかけに、私には手放していい固定概念が沢山あるんじゃないかと感じるようになり、手放したい考え方を挙げてみることにしました。

・人を助けなきゃいけない、相手を不快にしてはいけない、役に立たなきゃいけないという思考。(※)⇒人に配慮するのは助けを求められたらで良い。

・女性として女性らしく生きなければならないという思考。そして父親に対する嫌悪感・憎しみと母親への執着。⇒自分の大切な時間を憎しみの感情・記憶に囚われることに浪費しなくていい。

・可愛くないと、美人でないと選ばれない、好かれないという思考。⇒自分が自身の生活に満足していれば、そもそも人から選ばれなくても良い。それで人に選んでもらえたら本当に幸せ。

・好きなことは詳しくないと好きと言ってはいけない、趣味は極めないといけないという思考。⇒自分が楽しめればそれで十分!自分の好きな物事・好きな度合いは他人には関係ない!

・常に最善を尽くさなければいけない。⇒失敗から学ぶ姿勢は良いことだが、常に最善を目指すと疲れる。人は万能ではなく、いつも悩み苦しんでるように自分だって万能ではない。適宜さぼることも必要。

 

改めて見るとほぼ全部他人軸の考え方だな…怖い。最近は好きな事に取り組んだり、生活を見直したりすることで少しずつ自分軸を持ち始められている気がします。

性的虐待の経験から受けた認知については簡単な問題ではないので難しいかもしれないけど、考えないようにしようとすればするほど意識に残るらしいから、その過去の記憶もまとめて手放して脳内から切り離してしまえば良いのかな。こちらはまたインナーチャイルドセラピーで相談しようと思います。被害者が苦労しなきゃいけないなんて本当腐ってるよね。

(※)部分については、前に話題に出した武田友紀先生の本に「自分が人のためにと頑張り過ぎると見返りを求めるようになって、『私はこんなに頑張ってるんだから、あなたもこれくらいやってよ』と人にも苦労を強要したり、『私はいつも頑張ってるんだからこれくらい良いでしょ』と自分の身勝手な行動を正当化したりする」というような話があり、身に覚えがあり過ぎて感服でした。求められてもないのに過剰に気遣い、決してそれと同じくらいのものを返してくれない周囲にイライラしたり、「いつも私が頑張ってるんだからそれくらいやって当然だよね」と純粋な気持ちで人にお礼を言えなくなっていたり。

このことに気付いた後に本心から人に「ありがとうございます」と言えた時があって、その時の己の心の軽さと、本心から述べる感謝の気持ち良さに感動しました。一体私はどれだけ長い間純粋な気持ちで人に感謝することが少なかったんだろうか…そう考えるとこれからの人生はより豊かになりそうです(^O^)

先生は、「相手と分かり合いたい」という気持ちも手放すと良いと言っていて、それもかなり為になりそうです。

これらの思考を手放し始められている今は、心もだいぶ軽く穏やかになり、心なしか体もリラックスできているような気がします。今までは本当に歪んだ認知と固定概念で心身共にガッチガチだったんだなあ。長い間お疲れ様だったね、過去の私。こう言えるようになったのはかなりの進歩かもしれません。

 

「自分が幸せになれれば心に余裕ができ、周りにも寛容になって見返りを求めない優しさを発揮できる」的なことは、様々な啓発本で見聞きしてきました。

言葉や理論で何回見聞きしていても、やはりそのことについて体感的に考えさせられたり身をもって体験したりしないと、その言葉の真意には気付けないものだなと改めて感じさせられました。

 

最後に余談。インスタをやっていた当時、おすすめに「HSPあるある」的な投稿があふれてきて、中にはすごくためになるものもあったんですが、「いや、これHSPっていうかあなたの感覚でしょ」的な投稿もあって、HSPの概念にこじつけられる感じがして苦手でした。HSPのことを全面に出した明らかに商法的なアカウントからフォローされたりすると、「あ~HSPを商法にしちゃうのね」っていう複雑な気持ちもありました。私がひねくれすぎなんでしょうか(;´∀`)

この情報社会、溢れる情報の中から自分で必要な情報を取捨選択しなきゃいけないのは大変ですね。今のところインスタ禁断症状は全くありません(*´▽`*)✿