種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

幽体離脱

明日はお休みなので、時間も気にせず気の赴くままに投稿✍️( ´ ▽ ` )

 

いきなりですが、皆さんには「座右の銘」はありますか?私にはありません。

座右の銘とは、いつも自分身近に書き記して自分戒めとする言葉のことである。慣用句故事ことわざなどの中から選ばれることが多い。簡単に言うと、自分生きていく上で大切にしている言葉のことである。
座右の銘の「座右」とは座席右側のことで身近、そば、かたわらといった意味を持つ。「銘」は、戒めなど心に刻みこんだ言葉のことである。

座右の銘って故事・ことわざのイメージが強かったのですが、別にそうでなくても良いんですね😳

座右の銘といえば、大学入学時の自己紹介で座右の銘を聞かれ、「そんなもの無い」と思いながらも正解になるものを答えなきゃと必死になり、「ローマは一日にしてならず」とか全く座右の銘でも何でもない寧ろクソ真面目すぎて場の雰囲気を凍らすようなものを答えてしまい、その後別の子の「笑う門には福来るです☺️」という場を和ます可愛らしい回答を聞いて、どうして私にはそういう回答ができないんだろうと自分を責めるという苦しい思い出があります。この話から溢れ出る私の窮屈感がやばい…👼今はこの頃よりだいぶマシになってきたと思ってます笑

前回の投稿でも触れましたが、自分の人生をどのようなものにしたいか、何をモットーにして生きていきたいかについて考えてみました。そこで考えついたのは、

  • 笑顔
  • メリハリ
  • シンプル
  • 感謝(今思いつきました笑)

です!この4つを大事にして生活していきたい💪

変わらないよう無理くり軌道修正がかかる脳に必死に抵抗しながら考えたので簡易的な結論しか出せませんでしたが、それもまさにシンプルで良いなと思ったり。今までが長々ごちゃごちゃ考えすぎなんだよね、きっと。

これらの中でも、特に「メリハリ」が私には無いとても大切で必要なものだと感じています。何事においても「考えながら」「見ながら」「聞きながら」で、ながら行動やマルチタスクの習慣が長すぎて、日々の過ごし方や気持ちの切り替え方などありとあらゆるものがなあなあになっている気がしますし、時間や体力・気力の浪費やストレス発散のしにくさにも繋がっているように思います。メリハリがあり、難しく苦しく複雑なことは考えないシンプルな生活を送りながら、笑顔溢れ周りへの感謝を忘れない人間になりたいです。

今まで理想主義をかなり拗らせてきましたが、自分のありたい姿・送りたい人生は、この一言(4つの要素)に尽きる、尽くすで十分なのかもしれません。一言だから簡単なことに聞こえるようでも、実はかなり難しく、でもすごく大事なことが凝縮されているように思います。言葉もそうだけど、量が多い方が優れているとは決して限らなくて、量は少なくても洗練されたもの・優れているものはありますよね。あ〜〜〜この価値観、「物」だけじゃなくて「言葉」も「考え」も当てはまるんだ🤯すごく腑に落ちるというか、私自身かなり生きやすくなる発想に気づけました😭✨(今まで別物として全然気づけてなかった…。)ならもう必要以上にあれこれ考えなくても良いんだ(;▽;)考えないことは怠惰だと思って拗らせてきたこの習慣も、ようやく終わりを迎えられるかもしれません。

 

また髪をいじって抜き始めたのでストレスを感じているんでしょうが、これは必要な向き合いだったと思っています。ていうか、相変わらずこの文章の起こし方(自分と向き合って分析し時間をかけて言葉を選びながら長文でまとめること)自体ストレスだと思うので、自分が納得するくらい自分と向き合い切れたら、文章の起こし方どころかこの自分との向き合い方自体手放したいと思います。かれこれ10年以上続けてきたこの向き合い方を手放して良いのかと想像しただけでも、かなり心が軽くなりました😳自分虐め同様に、いい加減息苦しくクソ真面目に自分と向き合い続けるのもやめて良いのかもしれません。

と、良い感じにまとまってきているように思えますが、、、(下記かなり理解しにくいと思います)

実は⬆️の「いい加減息苦しく〜やめて良いのかもしれません」のところ。苦しみ続けている①の自分を置き去りにして変わろうとする上昇志向②の自分がかなり表に出てきている嫌な感じがあるのです(詳しくは「三人」の記事参照)。実は昨夜、自分の体からスッと抜け出して、狭い視野で息苦しくなっている自分を俯瞰して見られた感覚が一瞬あって(ここでタイトル回収笑)、このままこの幽体離脱的感覚を掴んでしまえばもっと視野が開けて解放された自分になれるんじゃないかと希望に溢れたんですが、それをどこか喜んで受け入れられない感覚もあって。それは多分①を無視してというか、苦しんできた①なりの自分の守り方を否定したまま変わろうと突っ走る②のあり方に自分自身納得していないからなんじゃないかと考えました。もう何言ってるか分からないと思うんですけど…

自分と向き合うことは、自分が納得するところまでやり切れたら本当に手放して良いと思っています。ただ、それを自分の生きにくさに直結している悪癖・汚点としたまま手放すのは違うというか…これも以前言及した鉄の鎧、甲冑と同じで、①の自分が、機能不全であっても逃げられない環境下で適応するために身につけてきた自己防衛の一つだったのではないかと思います。だから、自分と向き合うことを手放すときは、甲冑の時と同じように感謝しながら手放したいと思います。どこかのサイトで、「インナーチャイルドは、つらく苦しい時を長い間ずっと耐え抜いてきたとても我慢強い存在である」と書いてありました。きっと、そんな自分が頑張って身につけてきた自分を守るための武装・防備にたくさん感謝して手放していくことで、①の自分は徐々に癒やされていくのかもしれません。二十数年間頑張ってきた内なる①の自分への本心からの感謝と愛情がようやく芽生えてきたことと、辿り着けたこの優しい結論に泣けてきました(;_;)

①が癒やされて元気になり、②も①を愛し思いやれるようになった時、そして①、②、③が一緒に手をつなげるようになった時、全ての自分が統合されて一つの自分になれた時、ようやくそこに「私」という一人の人間が立っていられるような気がします。そこには、過去のトラウマや自信の無さ、他人の評価に悩む私ではなく、完璧じゃなくてもそんな自分を心から認めて愛せる自分がいる気がするんです。

 

予定外に最終的にヘビーな話になってしまったので抜いた髪の量が増えてしまいました😂でも、すごく重要というか核心をつくようなまとめ・思考整理となりました。「考えすぎない=全く何も考えなくなる」ではないし、自分の心を置き去って無理してまで変わろうとするのはつらい努力なんだな。明日からの自分はまた一つ違う自分になれてる気がします。それでもまた変わらないように必死に軌道修正かけてこようとするのかも知れないけど、それも防衛本能だと思って感謝しながら、今日はこの大事な考えにゆったり浸って眠りにつきたいと思います🛏️🌃

何となくですが、来年の自分はさらにパワーあふれる自分になれるような予感がしています。そのためにも今は必要なことに向き合い、体力気力も蓄えて新年を迎えたいと思います🌱毎度ながらよくわからない記事を読んでくださって、ありがとうございました☺️💐