種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

溢れるエネルギーを

今日も仕事を早退。

昨日休んだことでできなかった仕事を終わらせるために出勤したところ、昨日休みだった先輩が休日出勤してその業務を終わらせてくれていたと知り、申し訳なさと不甲斐なさと悔しさで泣いてしまいました。

泣くって相手を困らせたり気を遣わせたりする卑怯な手だって思ってたから、泣くまいと頑張ってお礼を言ったけど、それでもやっぱり申し訳ないのと悔しいのとで泣けてきて。先輩は「あらら泣かせちゃったね〜大丈夫、全然気にしなくて良いんだよ」「たねさんのことだから、責任感じて体調回復しなくてもそれをするために出勤してくると思ったから。こういうのはね、やれる人がやれば良いんだよ、だから気にしないで。帰ってから気に病んで悪く考える必要もないからね。私が大変な時は助けてくれたら良いからね」と笑顔で優しく声をかけ続けてくださって。

私には日頃から先輩方のようにそんな優しい考えなんて微塵もなくて。なんなら今までだったらそれすら「良い上司でありたいから言うことなんでしょ」とか綺麗事・お世辞としか感じてこなくて。泣いた理由も、先輩の厚意に対する感謝よりも、自分のせいで相手に負担をかけてしまった申し訳なさと同時に、仕事は最低限でやりたいのにそんなことをされたら自分はもっと頑張りを強いられているような息苦しさ、自分は人にそんなことをさせてしまう休み方をしてしまったことの不甲斐なさ、自分の誤った頑張り方で結果嫌な思いをして泣く羽目になっていることの悔しさなど、負の感情ばかりでした。

「泣くのは卑怯な手だ」とか「仕事は最低限でしたいから頑張りを強要されるような感覚がして息苦しい」とかは、私が私に厳しいことや許さないことから来る考えだと感じました。自分に優しくないから、心から人にも優しくすることができない。自分に厳しいから人にも厳しいし、誰彼構わず厳しいからこそ弱った自分にも容赦なく厳しい。「自分の基準を相手に押し付けるな」って至る所で思ってきたのに、自分も自分への厳しさを周りに押し付けてしまっていること、それによって自分自身も苦しくなっていることに改めて気づきました。

こうやって先輩の言葉を文字にして読み直してみると、本当にありがたいことでしかなくて、その場だけでなく帰ってからの私への思いやりもあって、今はその優しさとありがたさに涙が溢れてきました。うまく人と距離を取ったり休んだりできずに気を張り続け、定期的に動けなくなるような、これまでの誤った頑張り方・日々の過ごし方を変える必要があると強く感じた出来事でした。

 

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関連してですが、少々話は逸れます。

「何もしないをするができない」なんて悩みを綴った昨晩、なんだかどうしても行き詰まっている感じがあって、久しぶりにこけももさんのタロットたちの力を借りようと試聴。


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占いに翻弄されてるというわけではないけれど、初っ端から当たりすぎて(;_;)親しい人からはいつも一生懸命悩んだり考えたりしている&いつも大体同じことで悩んでいると思われてるとか、自分で自分を虐めると闇落ちするから自分の心・体を大事にすることが必要だとか、疲れてるからこそ原点回帰できる人や場所との関わりが大切だという気づきも。

そして何より、今すぐできること・アドバイスとして言われたことがすごく刺さりました。

「恋も片手間くらいでやらないと重くなる。本来あなたがエネルギーを向ける先はワーク。」

「しがみつかずにダメな時はさっさと退散、早く見切りをつけて素早く動く。常に動き続けなさい。そんな常に動き続ける自分を受け入れなさい。」

 

こけももさんの話を聞いて、私は「何もしないをする」ができなくても良いんだと思えましたし、寧ろ悩むところはそこじゃなかったんだと気づきました。何もしないができなくても良いから、エネルギーの向ける先を考え直す必要があると分かりました。

過去にも、「あなたはかなりのエネルギーを持ち合わせている」「止まることができず常に動き続ける」というようなことは何度か言われていました。「エネルギーを変な方向に向けてはいけない」「ブルドーザーになって破壊してはいけない」とか。

そこで思ったんです。私のエネルギーの向ける先はもう「自分」じゃないんじゃないかと。エネルギーを向けすぎてもう逆効果になり始めてるんじゃないかと。

 

高校から大学までの7年間は理想的な教員になることばかりに力を入れて、自分のことや交友関係も疎かにし、結果心と体を壊しました。

適応障害を経験してからは、もう同じ過ちは繰り返すまいと、向き合い方も分からなかった、大切にしてこなかった自分と試行錯誤しながら向き合ってきました。それももう6年になり、やり過ぎに突入しかけているかもしれません。

自分を大切にしようと自分のことに集中するのは良いけれど、現状として集中しすぎてまた過敏・ストイックになってきていて、結局自分自身を苦しくさせてしまっている元も子もない状態になってて。必要以上に自分を責めたり追い詰めたりすることも、結果自分にエネルギーを使うことになっていて。これがまさに「エネルギーの使い方を間違っている」状態そのものなんじゃないでしょうか。自分を大切にするという感覚をようやく掴み始めたので、それを忘れず適度に日常に取り入れていければ、これ以上もっともっと自分と向き合おうとしなくても良いんじゃないかというか。

勿論、全く考えなくなろうとかそういうつもりはないですし、寧ろこの習慣が染み付きすぎて全くしないという方が難しいと思います。でも、実家を出たことで生まれた余裕で自分の世話ができるようになったことを思えば、自分と向き合ってばかりの日常生活を変えることで生まれる余裕も相当なものなんじゃないかって思うんです。

自分のことにエネルギーを向けないっていうのは自分に無関心になるということでもないし、イコール自分を大切にしなくなるというわけでもなくて、必要な時は否が応でも自分と向き合わなきゃいけなくなるわけですし、自分を大切にする方法・感覚を掴めたらそれに磨きをかければ良いだけで、それ以上にもっと何かできるように極めようとしなくて良いというか。なんでも極めようとする性格が仇になっちゃっているかもしれない😓

「しがみつかず、早く見切りをつけて立ち去る、動く」っていうのは過去のことにも言えることだと感じていて、事情も事情なので一気に吹っ切れるっていうのは難しいとは思うのですが、自分の気持ちを断ち切ることはせず大事にした上で過去から自分を断ち切るというイメージは必要だと思いました。

 

「エネルギーをライスワーク(生きるためのワーク)とライフワーク(自分の生活を豊かにするためのワーク)の両方に向ける」「自分のやってみたいことや興味のあることをやってみると良い」

興味のあることや楽しいことにもっと取り組むことを考えたら、なんだか未来が明るく感じられました。前にも似た感じのアドバイスを貰っていましたし、同じ話を何度かしてるかもしれないんですけどね(´∀`; )これからエネルギーを向ける先を、自分より仕事と趣味に向けていきたいです。

エネルギーの使い方については今までも散々悩んできましたが、「向ける先」というのがより具体的でとても分かりやすかったです。いつもタイムリーに必要な助言をくれて、本当にありがたい(;ω;)これからも行き詰まった時はタロットたちに助けてもらいたいです🔮🐈‍⬛

 

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たとえ同じ段階のままであることはなかったとしても、「自分を大切にしたい」といつまでもそれに固執し続けているのも、ある意味でそこで成長が止まってしまっているんじゃないか、その状態から抜け出して次の段階に行くのが本当の成長なんじゃないかとも思うんです。(無論、ある程度自分を大事にできるようになってからの話です。)

お友達🐈や気になっていた人の時と同様に、昨日今日の出来事をただ泣いてそのまま変われずに、これ以降も人に気を遣わせて甘え続けるのは違うと感じていて。全く知らない世界に足を踏み出そうとしているので不安はありますが、今日の一件があったからこそより強く意志をもって踏み出せる、この出来事は私が気持ちを切り替えるためにあったんだと思えます。人を苦しめるのも人なのに、変わる機会をくれるのも人だから複雑だな💭

 

帰宅後、温かいよもぎ茶を飲んでホッとすることができました。最近自分だめモードになってきて、プラスなことも入ってこない以前のような状態になってきていたので、少しでも油断するとこうやって以前の自分虐めの思考が自分を戻そうとしてくるんだなと感じました。前の状態にギリギリ脳を変えられるような感覚。良い方向に行くのは大変なのに、悪い方へ行こうとするのは本当に容易で憎いな。

今後数日間で一気に変われなかったとしても、変わることを諦めないで何度も足を踏み入れたいです。先輩の気遣いを無駄にせず、今日の申し訳なさ・悔しさ・ありがたさを変わる勇気に変えて、明日から元気に出勤したいと思います✊🌿🌳

心を支えてくれる方からの贈り物🍩と温かいよもぎ茶🌿