種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

大好きなお友達🐈②

tane-plants.hatenablog.com

彼女とお別れして2日。流石に泣き疲れて、出てくる涙の量も日に日に減ってきました。それに対して自分は薄情なんじゃないかと感じる反面、いつまでも泣いて悲しむことはここまで私を回復させてくれた彼女に申し訳ないことだと葛藤したり。涙は出なくなってきても心身共に重く胸は苦しいまま、何のやる気も起きないままです。

適応障害からこんなにも私を救い出してくれた大切な彼女との別れから逃げずにしっかり向き合うことが彼女へのお礼、礼儀だと考えているので、前回の投稿の後に感じたこと、考えたこと、忘れたくない彼女の姿をまとめていきます。

 

昨日の朝は、気持ちを切り替えながら普通の生活に戻っていかなければならず、そうしている間つい一昨日には一緒にいたのに、一秒一分と時間は確実に過ぎていって、一緒にいた時間が昨日、一昨日、一週間前、一か月前、一年前、数年前とどんどん遠い過去になっていくことが本当につらく感じられて泣きました。

昨日から仕事に復帰し、業務に集中していると悲しい気持ちを忘れられて気持ちが楽でした。でも一人になるとまた一気に悲しさ・寂しさが押し寄せてきて。退勤後、成仏前は何度か寄ろうと思って寄った実家は、いつも居た座敷の部屋やご飯を食べる所に彼女の姿がなく、何か大事なものがない・足りないそんな感じがすごくて、それがまた酷く寂しくて涙が出ました。

自分の写真を残すことが苦手な私は、彼女との写真すら自撮りをすることも人から撮ってもらうこともほとんどありませんでした。そうすると、彼女がいなくなってしまったこれから、自分が彼女を大事にできていたかどうかを確認する術は、どんどん薄れていく自分の記憶を頼るしかないと気づきました。前猫への後悔から、彼女を迎え入れた日から彼女をずっと大事にしてきた自覚はありましたが、記憶にしか頼れなくなるというのはかなり心許なく絶望しかけていたところ、私より猫好きな妹が私と彼女が一緒に写っている写真も撮ってくれていたのでとても助かりました。その中には彼女をぎゅっと抱きしめる私の姿もあって、それだけでも「私は彼女に大好きを伝えられていたんだな」と少し安心できました。写真に残った彼女の安心した穏やかな表情を見ると、私たち家族に心開いてくれてたんだと分かり泣けました。

認知バイアスの本を読んで、記憶は自分の都合の良いように書き換えられるというのも知っていたので、彼女の姿や感触を忘れるのも記憶が変わってしまうのも怖いと思っていましたが、忘れないように努力すればいいだけだと昨晩気づきました。以前忘れるということについて投稿しましたが、忘れたくない大事なことは忘れないように努力すれば良いんですよね。感触だってまだ覚えています。毎日写真を見ながら感触を思い出し続けたいと思います。

彼女が居なくなった生活が当たり前になるのが怖いとか薄情とか思う気持ちもありましたが、毎日心の中に居れば怖くないし薄情なんかじゃないですよね。今はつらくても、彼女との楽しい思い出を確実に自分の中のプラスにして、共に生き続けていきたいです。彼女と一緒に生きていく。私が幸せになることで、私の中にいる彼女も幸せにしていく。彼女が長く生きられなかった分、彼女も自分も幸せにして一緒に生きていく。大事な彼女が好きでいてくれた私自身も大切にして力強く生きていきたいです。

 

亡くなって間もないから余計につらいんだと感じています。「時間が解決してくれる」ってよく聞きますが、すごい言葉ですよね。残酷でもあり、でも助かりもする。現実って厳しいな。

今まで誰かが亡くなった時、成仏して幸せに過ごしてほしいという気持ちが強かったので、「(亡くなってからも)傍にいて欲しい」とは思って来ませんでしたが、今回のお別れではその気持ちが少し分かりました。でもちゃんと成仏して欲しいので、この世にいれる間は彼女の存在を妄想でも感じていたいと思います。生まれ変わりの概念がありますが、もし自分に子供が生まれることがあったら、自分の子供としてまた出会えたらすごく嬉しいなと思いました。

 

8月は入れ替わりの月な気がする。これを機に色んなものが一気に入れ替わるそんな気がしています。暑さは続くけど確実に秋に近づいていて、彼女とのお別れやこのつらい気持ちが置いていかれるような気持ちになりますが、様々な入れ替わりの予感がしています。今は胸が苦しくて重くても、きっと徐々にまた前向きになっていくからね。

私が思い出せる用に彼女の思い出は最後にまとめましたので、興味ある方は「続きを読む」からどうぞ☺️🌱

«🐈の思い出»

・家族が帰宅すると必ずチリチリと首輪の鈴を鳴らして出迎えていた。人が複数いて話しているときは、その距離の真ん中あたりに座っていた。母の肩にしょっちゅう登っていた。名前を呼べば自分だと分かっていた。家族に対して「ンニャ」「ンニャ〜」と囁く(エアー)ことがよくあった。意地悪する祖母をいつも監視していた。家族に対しても人によって態度が違かった。

・家族が食べている時に来て一緒にご飯を食べていた。ご飯ストライキが多かった。飽きて気に食わなくなると砂をかける仕草をしていた。一緒に菓子パンを食べた。

・お風呂まで来て一緒にいた。開けてと鳴いたり、風呂前で待っている時もあった。風呂場のドア越しにじゃらして遊んだこともあった。

・前猫はトイレをしているところを見られると文句を言って注意してくる猫だったが、堂々と人前で用を足せる猫だった。

・家族と寝る時は腕枕がないと満足しなかった。顔元で寝ていた。一人で寝る時は自分の手を腕枕のようにして寝ていることがあった。頭を人の顔や腕に押し付けて甘えることが多かった。

・玩具や祖母の刷毛、妹の人形などを私の部屋まで持ってきて目の前でポトッと落とし、「ンニャッ」と鳴いていた。私が彼女をわしゃわしゃしながら沢山褒めると「ンニャ〜!」と嬉しそうにしていた。褒められることが分かってからは、獲物を落とした後にとてもキラキラした目で褒められるのを待っていた。

・妹に怒られた時、私の所に来て「ン゛ン゛〜!」と不満を言っていた。「怒られて不満だったの?」と聞いたら、「ン゛ン゛ッ!!」と言っていた。

・人見知りをしても、「可愛い」と沢山言われると満更でもなさそうにして心を開いていた。

・コロナ感染対策で2週間ほど実家を離れ、家に帰った時に私の声で大きく反応してくれていた。私が一人暮らしを始めて帰る頻度が減った時は険しい顔になってしまっていたが、数日間一緒にいると穏やかで健やかな表情になっていた。

・車に乗って一緒にドライブできた。運転席と助席の間が特等席だった。車のドアを開けると自分から乗っていた。猫リュックに自分からすんなり入る時もあった。

・興味あるものに出会った時は頭を横に揺らしたり首を傾げたりしていた。高速で猫パンチ・アタックをしていた。ふさふさの天然猫じゃらし(草)に目を丸くしてフローリングを滑りながら遊んでいた。秋に外に出て赤とんぼを捕まえるのが好きだった。捕まえる時に小さく鳴いたり囁いたりしていた。脱走しやすい祖母の出入りのタイミングを狙っていて、リードなしに出た時はカンガルーのようにビョンビョン飛び跳ねて逃げていた。

・茶白猫は天然・おてんば傾向があると言うが、美人さんな優しい天然おてんば浜っこ娘だった。

・モップが怖くて「シャーッ!!」としていた。怖いのに果敢に追いかけていって、息の根を止めようとするような俊敏で強いパンチをしていた。あの小さい身体から力の限りというようなパンチだった。

・興味があるものに対しては、顔をゆらゆら揺らして見ていた。

・何かを求めている時、優しいタッチで人の顔にちょいちょいと触れてくることがあった。

(思い出したら随時追加)