種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

大好きなお友達🐈

私の大好きな大好きなお友達が、本日朝に天国へ旅立たちました。

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享年7歳2か月(実年齢6歳2か月)でした。

昨日から泣きっぱなしで疲れてきましたが、彼女とのお別れにしっかり向き合うためにも、思い出や思考を整理しながら気持ちを綴っていきます。

 

彼女は、私の適応障害療養の一助とすべく、動物保護団体からお譲りいただいた猫でした。当初は全く別の雄猫を家族として迎える予定だったはずが、行ってみたらまだ人と暮らせるような状態ではないと断られ、全く考えていなかった玄関からずっと付いてきていた生育不全の彼女を「あなたで良いや(失礼)」と家族として迎えることになりました。雌猫は本当に可愛くて失うのがよりつらいと分かっていたので避けるつもりが、予定外のことで家にやってきたのが彼女でした。今こうやって振り返ると、これが本当に良い出会いだったと思います。

沿岸で生まれた彼女は子猫の段階から既に衰弱していて、そこを保護団体に救助・保護されました。衰弱していたために子猫からずっと手を掛けられてきているので、人懐っこくかなりの甘えん坊で、少し分離不安のようなものも持ち合わせていたかもしれません。虚弱体質で歳を重ねても、成猫手前のような大きさのままでした。小さいながらも保護団体にいるときから周りの子猫の世話をしたり、他の猫とコミュニケーションを取ったりするなど、優しい猫でした。

そんな彼女が家に来てからは、ストレスフルな家の中に一つの尊い癒しができました。私の家庭は猫を話題・仲介にしてでしか会話ができないような家庭なので、私以外の家族にとっても大きな癒しだったと思います。弱って大好きな音楽やゲーム、漫画などを受け入れられなくなっても、大好きな猫に対しては心が動き癒されて笑顔になれました。

「猫」ではなく本当に人間の子どものような猫で、自己主張もでき人の言うことも分かって動く猫でした。名前を呼ばれれば反応し、人に何かを話しかけ、獲物(玩具)を私の元に持って来て褒められては嬉しそうにしていました。彼女は一日中ほぼ動けず横になっている私の傍に居続けてくれて、私が頑張り過ぎな時は作業の邪魔をして休ませてくれました。散歩に行きたい時も結果私を適度に外に連れ出してくれました。本人は自分の欲求に従って動いただけなのでしょうが、私にとってはそれが彼女の優しさであり心の支えでした。彼女の優しいまなざしや姿勢を見ながら、これは自分も学ぶべき在り方だなと感じてきました。

 

一昨日から弱ってきて夜鳴きしていたと聞き、翌日朝実家にかけつけました。昨日は偶然休みを取っていたので、一日彼女の傍に居続けることができて本当に幸運でした。朝会った時には既に覇気がなく目の焦点がおかしくなっていて、これは長くないと分かり、本人が一番つらいと分かっていながらも一日中泣きながら傍にいました。おぼつかない足取りでも外に出て、木陰で一緒に風を浴びました。夕方には今まで感じたことがないくらいに体温が下がっていて、陰に隠れてずっと突っ伏していたので、今夜が正念場だと感じました。寝ながら数時間おきに目が覚め、そのたびに心配になりましたが、今朝母に看取られ天国へ旅立ちました。大好きな相手が苦しんでいるのを見るのは本当につらいことなので、看取ってくれた母には本当に感謝ですし、仕事を休ませてくれた理解ある上司・同僚にも感謝です。

昨日寄り添って感じたこと。つらい気持ちの種類は違えど、自分は数年前まではこんなつらい精神状態が毎日続いていたのかと思うと、やはりあの時は病気だったんだなと実感できました。以前は毎日無気力で動くこともままならなくて、好きなことにも感情が動かなくて、自己嫌悪や不安感、消えていなくなってしまいたい気持ちに苦しんで、笑うことよりも泣くことが多くて。でも今は、自分はこれで良い、今がすごく幸せだと思えるくらいまで回復して。そう考えると療養猫としてやってきた彼女は、私の闘病から回復まで寄り添い続けてくれたんだと気付き、本当に感謝の気持ちと彼女を尊く思う気持ちでいっぱいです。

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写真を見返すと、本当に優しくお茶目で可愛い彼女の姿があって、楽しかった思い出や本当に愛おしいと思う気持ちが思い出されてきて、死ぬ直前の苦しさ・怖さを変わってあげたかったという気持ちや、これまでの感謝、いつも居たはずの彼女がそこにはいない寂しさ、様々な気持ちがこみ上げてきて涙が止まりません。

15時から火葬だったのですが、あの愛しい身体が本当にこの世から無くなってしまうと考えると、益々涙が止まらなくなりました。散々触ってきたあの感触も、時と共に薄れて忘れていくのかと思うと余計に寂しいです。

この連日の暑さの中、暑苦しい毛皮をまとい、クーラーもない実家で過ごし続けたことは、かなり死期を早めさせたと思います。家族として動物と一緒に暮らしていく上で、整った環境で迎えることは必須条件だと改めて分かりました。

休職・無職時代は常に一緒にいられましたが、就職すると一緒にいられる時間が格段に減り、構ってちゃんな彼女には寂しい思いをさせてしまいました。でも生きてく上では仕方ないと自分に言い聞かせながらやってきて、更に昨年から私が一人暮らしを始めたことで余計に寂しい思いをさせてしまったと心苦しく思い続けてきました。自分が実家から離れて変わろうとすることは、すなわち彼女を置いて家を出ていくことであって、そこには常に葛藤の気持ちがありましたし、それで実家を出なかった期間も長くありました。私を裏切り者を見るような目で見て距離を置くようになったり、長い時間居ると甘えたそうにしてきたりした姿を思い出すと可哀想なことをしてしまったと改めて胸が苦しくなります。私のように様々なことに挑戦したり行動したりしたい人間は、環境がしっかり整えられてお世話もできるような状態がないと、大好きな猫を飼ってはいけないと強く思いましたし、歳を重ねるごとに別れがどんどんつらくなってきているので、もう猫は飼えないなと考えています。

「この家に来て彼女は本当に幸せだったんだろうか、他の家に行った方がもっと幸せに暮らせたんじゃないだろうか」と思うことが何度かありましたが、残った写真の中には彼女の幸せそうな姿も確かにあって、それを見ると「私たちのところにきて良かったんだな」と思える部分もあって少しだけ安心します。獣医からはここまで長く生きられたことが素晴らしいと言われていたようなので、良い方向に考えたいです。

今は、昨日までそこにいた大好きな彼女がもうこの世に存在しない、もう抱きしめることができないということが一番寂しくて悲しいです。ただ、天国へ行って死んだお母さんや兄弟・仲間と再会できて、首輪も外れ自由に心やすらかに過ごせると思えば、気持ちは楽になります。いろんな仲間と出会って「ンニャッ」「ンニャ~」とやり取りしている姿が想像できます。ゆっくり休んで、天国で楽しく健やかに暮らしてほしいです。

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彼女との時間はいつでも本当にかけがえのないものだったなと思います。

今まで二十以上の猫たちと出会い暮らしてきましたが、同じ猫など一匹もいませんでした。みんな個性豊かで、それぞれの人となりがありました。最早猫だという認識が薄れてきていて、猫という形をした個人というような感覚です。その中でも彼女の存在はより大きく、これからの私の人生に大きなプラスの影響を与えると確信しています。私はあなたのおかげでここまで元気になれたんだよ。あなたからもらった幸せのパワーを何倍にも大きくして、私は幸せになっていくからね。本当にありがとう。

新しく家族を迎え入れることはできませんが、彼女との出会いをくれた保護団体には、これからも可能な限り寄付を続けていきたいです。

 

泣いては落ち着きを繰り返してここまで書き連ねました。泣き疲れているのに涙が止まらず。美味しい食べ物も味がしないし、好きな音楽も耳障りです。現実逃避もしながら彼女とのかけがえのない思い出を自分の中でプラスなものとしてもち続けるようになり、これからも日々を懸命に生き幸せでいることがきっと「死を乗り越える」ということなんでしょうが、時が経つにつれて泣かなくなってしまうことを悲しく思う自分がいます。本当に残酷な世界だ。

8月末はなんだか良い気と悪い気がごちゃ混ぜになって佇んでいる感覚があったんですが、まさかこんなことになるとは...。不謹慎なんだけど、なんだかこの別れが私の中でかなり大きな出来事になって私の背中を押してくれるという予感がしているんです。だから、そうなる前にちゃんと最後まで悲しんで彼女とのお別れに向き合うことが今の自分には大切なんだと思う。この直感を信じて、あと数日は彼女との思い出を振り返り感謝しながら過ごしたいと思います。あーー「死」って本当にしんどいね。自分が病んでるときは他人のことなんて関係なく死にたいと思うのに、自分にとって大切な対象が死んでしまうと本当につらくて苦しい。自分だって自分にとって大切な対象であるはずなのにね。そこまで見えなくなってしまうくらい疲れちゃうっていうのはやっぱり不健康なんだな。「自分を大事にして」とは簡単に言えるけど、この言葉の重みは回復してからしか気付けなかったな。自分もそうだったけど、こういう言葉の重みが分からない時、まずは言葉から受ける自分のイメージをもとに試行錯誤していくしかないのかもしれない。皆さんはどう思いますか?