種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

きろく

自分のための記録2です。

記事後半の内容が重めになりそうなので、最初に言いたいこと・結論を言っちゃいます📝

自分にエネルギーを向けない快適さを知ったら、自分に多量のエネルギーを向けて内省・考察するのがかなりしんどく感じられました。今日、これまでのように内省タイムに入った時、疲労感というか嫌悪感というか不快感のようなものがあって、疲れていたから余計なのか少し吐き気もして。これを数日前まで毎日日常的にやってたのかと思うとちょっとゾッとする。(現に髪を抜きながら投稿しています😇)

ごく当たり前のことだとは思うんですが、自分の興味あることにエネルギーを向けようとすると視線も意識も外側に向くんです。でも、自分のことで内省・考察してる時って自分の内側に意識が向くというか最早入り込んでしまって周りも見えなくなっちゃってる状態だと分かって。身体的(?)にも視線がどこを見てるかわからないというか、視覚情報が最早認知されてないレベルで自分の内側に入り込んじゃってるというか。ずっと長い間後者の状態で、先日前者の感覚を経験したので体感的に分かったことでした。外向的・内向的って本当字の如くなんだと思いました。視点が定ってないというか、視覚情報が自分で認知できなくなってる時は自分にエネルギーが使い込まれている傾向にあるから要注意⚠️できるだけ外に気持ちを向けていきたいと思います。

以前、世界三大幸福論というものを知りましたが、やっぱり私はラッセルの幸福論推しです。

 

 

今日は貴重なお休み。生理前だからか、朝から幼少期の性的虐待時に父親に言われた言葉や当時の情景が思い出されてきて、とても不快な気持ちからスタートしました。他の人に知られたくないとか周りにどう思われるかよりも今は強い不快感しかないので具体的に言ってみても良いんですけど、「(父親の陰部に)キスしてみて」とかね。普通にそこらへんで働いてる人間が自分の子供にそういうことしてるんだから、世の中の溢れるわいせつ事件見ると本当に嫌悪感しかない。

初めて具体的なことを公言しました。もうアラサーですが、今までこういう具体的なことを人に言えたことがありませんでした。平然と公言したけれど、これって多分途轍もなく大きな変化なんでしょうね。これも自分を大切にできるようになってきたからなのかな。こんな不快なことを何年も自分の内だけで留めてたと考えると、そりゃあ体にも認知にも影響出るほどの元凶でしかないよね。

こういうトラウマは心の奥底に閉じ込められて自分の中で適切に対処されることができないままずっと残り続けているから、いつもこうやって自分が弱った時に不快感が浮上してくるわけで、こういう部分は内向だとか外向だとかいう話ではなく、自分だけでは対処がかなり難しい問題だから、専門家の力を借りる必要があるのではないかと改めて感じました。

 

前回、料理をするなら最大2品までにしないと無理して続かなくなると言ったのに、昨日の退勤後、食材の都合で「3品でもいっか」と安易に作ってしまいました😵🍳もう1品多く作ったものだから料理や片付け(朝から溜まった洗い物も)の時間がさらに増え、やらなければいけなかった洗濯も済ませたら日付を超えてしまい、疲労感を抱えたまま起床する羽目に。言わんこっちゃない…😩

まあ、昨日の頑張りのおかげで「やりたくないけど料理しなければいけない」といういつもの切迫感はなく、久々に気持ちが楽な休日でした。

とは言ったものの、車のメンテナンスやジムでトレーニングをしながら職場のことを考え始めて息苦しくなってしまったりもして、やっぱり目標の「一歩引いて見る(一線を置いて見る)」「メリハリ」は大事だなと再認識。職場では仕事のこと、プライベートでは自分のこと!お互い持ち込まない!

 

生理前なのかストレスなのか先月から過食傾向にあり、食べても食べても満足しなくて、最終的に気持ち悪くなっちゃうという状況を繰り返しています🤢疲れすぎてジムにもなかなか行けず、確実に腹が出てきた/(^o^)\

今日は日中人の少ない時間で久しぶりにジムに行けましたが、いつも退勤後の人が多い時間に行っていたのも地味にストレスだったんだと気づきました。何か出会いの場になれば良いなとは思ってはいましたが、人目が気になりがちなので人が多いとそれだけ神経をつかっていることにもなっていたなあと。理想もいいけど、やっぱり自分の実態を大事にした上でできた余裕で他のこともできるっていうのが、自分にも相手にも優しくできる一番素敵な方法だよなとも思ったり。

生活が変わると価値観も変わり、価値観が変わると生活も変わる。これをここ数年何度も実感しています。臨機応変を大切にしつつ、家事は仕事の日にこなし、休日は好きなことに取り組むというスタイルが自分には良さそうです☺️🍀