種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

デトックス

デトックス
《detoxificationの略。解毒浄化の意》体内の有毒物・老廃物排出すること。健康法の一つとして、健康補助食品や食事法、運動法入浴法などが紹介されている。

 

 

iPad Proを売って、自然の中をドライブして、ジムに行って、美味しいお寿司を食べて、夕方お風呂に浸かって、MacBook Airをポチった、そんな1日🐸🏃‍♂️🍣

こうやって文字にしてみると、なかなか動きが多い1日だったんだなと思います。少し前まで「何もしないができない」と言って悩んでたんですが、ここ数日何の変化なのか、結果的に何かをやっていたとしても「今日は何もしないができたな」と思うようになってまして。分からないけど、なんか、すごいんです。(語彙)

 

iPadを売ってデジタルデトックスと見せかけ、夕方にはMacBookを買うという。まあ実際は音楽データの同期とブログ更新にしか使いません(-ω-)/

大学入学時に買った生協PC(10年以上経過)。画面には謎の線が入り久々の起動には10分程かかる、固まることが多くて処理速度も遅い。大切な音楽データたちが入ったこのPCがいつ動かなくなるかとドキドキしていたので、この機会に入れ替えることにしました。iPadでのブログ更新もいちいちBluetoothキーボードを出してきてっていうのが面倒だったので、デスクトップPCからネット民になった身としてはすごく楽になりそうです(⌒∇⌒)

お絵描きは断然アナログ派だったのですが、紙に描いているように描けると聞き憧れて買ったiPad Pro。そもそも1枚の絵を描き上げるということ自体まともにできないので、結局ほぼ絵を描くことなく、ゲームと動画鑑賞、オンライン飲み会、オンラインミーティングくらいの使用しかしませんでした。

色塗りとか最後までやりたかったけど無理だったやつ
(決まった向きと首までしか描けない絵下手あるある)

以前に脳疲労(脳過労)について知ってから、目の前にタブレットが置いてあること自体、毒されてる問題意識というか不快感があって。YouTubeへの不快感も増してきまして、Twitterもインスタもおすすめ機能が嫌でやめたところが大きいんですけど、YouTubeのおすすめ機能もいよいよ嫌になってきました。他人の正解を世間全体の正解のように押し付けられるあの感じが最高に不快。たまにドンピシャな音楽を紹介してくれるんですけど、最近は無音の心地よさを知って以前ほど音楽への執着が無くなってきたから最早不要になってきてて。

tane-plants.hatenablog.com

私の結論だと、デジタルお絵描きやスマホゲーム、動画鑑賞をほぼしない人はタブレットはいらないと思います。タブレットの一番良かったところは、推しとのオンラインミーティングが大画面でできたことかな。15万円の元を取れるくらい遊べはしなかったけど、お世話になりました、ありがとう!🍎

 

 

話は戻りますが、ここ数日間「何もしないができた」と思えることが多くて。明確な原因は分からないんですけど、たぶん義務感がないのがかなり大きいんじゃないかと思うんです。今までは私生活においてもタスク&プラン付けが当たり前になってて、それをこなさなければならないという思考が強めの習慣だったのですが、ここ数日は自分が無理をしない範囲で行動を起こすかどうかを決め、余裕がある時は自分から「やりたい」「やろう」と思って行動に移せているので、結果的に何かをこなすことになっていたとしても、そこにはこれまでほどの息苦しさ・疲労感がないんですよね。やっぱり、「やらなきゃ」っていう思考は思っている以上に自分を苦しめる・疲れさせるものだったのかもしれません。そう思うとこれまでの10年以上、どんだけ気疲れする生活だったんだろう(T_T)後になって気付くことが沢山ある…

 

前回、感情を物として見る(感じ切ったら外へ排出しないと毒素になる)という考え方が自分にはすごく分かりやすかったって話をしました。ここ数ヶ月、私の脳内は常に目まぐるしく回っているような感じで集中力もなくなっていたので、これは何でなんだろうと前回の投稿後に考えました。これまでの私は常に感情と思考がセットというか、感情を感情として感じ切ることをせずに「こう感じるのは何が原因か」「どうしたら良くなるか」とすぐ分析(思考)に持ち込んでいたというか、感情を思考でジャッジしちゃってるところがあるというか。感情が感情として大切にされない・処理されないで、膨大で複雑な思考とごちゃ混ぜにされていたから、それらが延々と脳内を駆け巡ってオーバーヒート状態になったんじゃないかという可能性に気付きました。感情と思考ごちゃ混ぜのイメージとしては、一つの白い粘土が全く別の茶色い粘土と混ぜられてしまって、もう純粋な白だけではなくなってしまっているというか。これも自分的にはすごくしっくりきました。感情は感情、思考は思考。別物。自分の感情を思考でジャッジしない。

これらに気付くと、自分に対しても自然と正常な客観視をすることができるようになってて、これもまたいきなり大きな変化でびっくり。今までは主観で自分を見てしまっているので、結果客観視できていないことが多くて。感覚が掴めた今思うのは、シンプルな客観視というのは主観はもちろん、第二者でもなく、本当に赤の他人、全くもって関係のない、なんなら興味・関心すらない、完全に別領域で暮らす他人レベルの認識で見ることだと感じました。本来これが当たり前なんだろうけどね。

そうやって見られると、「自分、また同じことで悩んでるな」っていう同じ一言でも、それを口にする時の心持ちが違うというか。今までだったら「またかよ」みたいな嫌悪感というか自責の念みたいなのがもれなく付いてきてたんですけど、正常な客観視ではその感情が付随してこないというか、ただ「また同じことで悩んでいる」という事実だけを感じられるというか。この感覚も初めて。作品に感情移入しすぎて疲れるって話もしたけど、それを良くないとして対象から距離を置くべきことではなくて、そういう体質だから別にそれでも良いんだと思って作品を見たら、確かに疲れはするけど純粋な気分転換として感じられて、これも良かった。スター&ストライプ素晴らしすぎた😭

自分を客観視できる、つまりは自分の状況を冷静に見ることができると、自分の思考癖や認知の歪みまで感情抜きで客観視できてくるので、それらを必要以上に問題視したり悩み苦しんだりせずに、無理なく対処しようと変わっていけるような気がします。感情は感情だし問題は問題、ごちゃ混ぜにするから複雑になってうまくいかない。

 

感情の書き出しもまだやれてないのに、ここまで自然と変われてしまうあたり、通院の効果というか病院からの提供情報効果がすごい。2回の通院だけでここまで来れるの本当にありがたすぎる。

また長くなっちゃったけど、変化が目まぐるしくてまとめずにはいられなかった…

前回の投稿で自分の感覚がズレてると言いましたが、おそらく自分で試行錯誤して今のこの状態になれていたからこそ、このタイミングで教わったことのイメージがちゃんと響いてきたし、ズレているということに感覚的に気付くことができて、教わったことにも取り組みやすいんだと思いました。自分にその準備ができていない、その土台すらできてなければ、そもそも自分と向き合うことも苦痛だったし、感覚的に気付く以前にまた自己否定の形で自分を無理やり変えようとしちゃってたんじゃないかなと。自分を大切にする感覚が分からなくても、それを掴もうと頑張ってきた今までの努力は決して無駄ではなかったんじゃないかなと、投稿後にふと思ったのでした。