種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

今の自分

お久しぶりです。

前回の投稿後も色々思いついたり気づいたりしたことはあったけど、体力・気力がありませんでした_(┐「ε:)_

疲れていると書き出す時も「でもやった方が良い」とやってしまうので、結局ストレスになって髪を触ったり抜いたりしてしまいました😇

連勤から解放されて余裕が生まれた今、ようやく書き出せます✍️

今日は、まず一番書きたいことから書き出し、最後に先日のカウンセリングと通院で学んだことを備忘録でまとめたいと思います。

 

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1️⃣まずは一番書きたいことから!

前回の投稿で、「今の自分を褒められても、何かしら理由をつけて純粋に喜ぶことができない」という感じの話を書きました。

その後に、「もしかして私、『今』の自分を全然見られていないんじゃないか?」とふと思ったんです。

今この自分を褒めてもらっているのに、「今は若いから褒めてもらえるだけ」「これから歳を取ったら褒めてもらえなくなる」なんて、未来のことを考えて憂いて。未来を理由にすることもあれば、そもそも理由作りもせずに全部跳ね返したり聞き流すから残りもしない、こんな感じでずっとこれまでやってきてて。こんなんで、私は一体いつ「今の自分」を見てあげることができるんだろう、そう思いました。

 

ちょうどそんな時、タイムリーに響く言葉に出会いました。

「自分に厳しいつもりで今の自分を蔑ろにする癖は、心の成長を阻み希望を枯れさせる想像以上の悪癖です」

以前にも紹介しました、クイーンズ・クオリティ。こちらの32話の言葉です。

強くなろうと一生懸命努力してきた、だけど心の中では自分をまだ弱いままと思い苦しんでいる登場人物・玖太郎に対する言葉でした。

自分に厳しいつもりで(私の場合その自覚すらなかなか無いんですが)、実は今の自分を蔑ろにしている。まさに私自身この状態だったので、この言葉がかなり刺さりました。

そしてその後、玖太郎自身が心の中でいつも泣いていた子供姿の自分に対して、「そうか、俺が泣かせてたんだな ずっとごめんな」という言葉かけもあって。これも考えさせられました。

 

気づけば私自身、ここ数年間はいつもインナーチャイルド、過去の自分を癒すことばかり考えていました。そうすることで今の自分も救われると思っていたから。「今の自分」には、「生きやすくなるにはどうしたら良いか」そればかりで、いつも課題ばかり与えていて。試行錯誤しながら良い方向には進んでいると思う一方、なかなか順調とも言えないように感じていて。

結果的にいつも過去か未来のことばかり考えていて、今この時を全く見られていませんでした。また、玖太郎の言葉から、過去の経験だけでなく自分自身に対する厳しさも、自覚・想像以上に自分の心を縛り付け癒しを妨げていたんだと気づくことができました。

「今」を生きているつもりでいましたが、実は全然「今」を生きられていなかったんだな。アドラー心理学の観点から書かれた本、「嫌われる勇気」か「幸せになる勇気」にも、過去でも未来でもなく今を生きることの大切さが書いてありましたが、今ようやくその真意のようなものがわかってきたような気がします。

 

この気づきだけでも心から体までかなり楽になった気がします。まだ気付きたてなのですぐには上手くいかないかもしれませんが、それで良いの。ゆっくり毎日を過ごしながら変わっていけたらと思います。

前の自分だったらここで「確実に、着実に」「前進します」なんてすごく堅苦しい表現をしただろうけど、今はそんな言葉がなくても結果的に変われる自信があるので、自分に厳しくせずに流れのままに過ごします。「真面目すぎる」と数え切れないくらい言われてきたけど、確かにこうやって見るとクソ真面目すぎるね😂この感覚もようやく分かることができてきた😭

「自分に厳しくしない!優しく、ゆったりしましょう」なんて6年以上言ってきたけど、結局それもTo Doみたいになってた気がするし全然分かってなかったな笑 まあ最初から感覚分かってなかったんだから仕方ない。

「できている」「できていない」で自分をジャッジしない。全然知らなかった・分からなかったんだもん、できなくて当たり前。最初からうまくできなくて当たり前。うまくできなくても少しずつできていけるようになったら良いからね。それを自分に許して良いからね。それも自分を大切にするということだから。

人から同じようなことを何度言われても全く響かなかった言葉でも、経験を通して意味を十分理解した上での自分自身の言葉が何よりも優しく響く気がします🌱

 

 

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2️⃣今日一番まとめたいことはまとめ終わったので、あとは通院時教わったことをまとめます。今回も私的には大変分かりやすかったです。興味のある方はご参考ください…😌⬇️

 

・「もっと頑張りなよ」とか他人に言われたらうるさいと思うのに、それを自分自身にやってしまってきている。それが当たり前になっていて気付いてすらいなかった。長年感情を溜め込んでいるので最早腐ったようなドロドロした重い物になっていておかしくない。

・自分の本当の声を全無視なので、日頃からあげているSOSも無視してしまっていて、結果PMSや生理中に体が動かなくなり強制的に休みを取れている状態。ある意味ギフト。家でもやらなきゃいけないことに取り組んでいるが、休みたいなら休んでから、やりたいことがあるならやって楽しんでからでもいい。理想の形は周りから見るとしっかりしている素敵なものに見えるが、本人の心には余裕がない。PMS・生理がきついならそれはそれで良い、休む。疲れているのに休まず頑張り続けているから中性脂肪も足りない。

・エゴ(認知の歪み)は悪いものではない。生きていく中で生じてきてしまうもの。いい子ちゃんでいることが長い間ずっと生存戦略だった。本当はそうでなくても生きていけるんだけど、長い間それが自分の中で生きていくための手段だったから、それから外れていけば大きく反応が出る。

・エゴにもエゴなりの正しさ・正義がある。エゴが言っていることに対して、何でそう思うのか耳を傾け聞いてあげる。エゴにはエゴの主張がある。それぞれのエゴの主張を聞き、受け入れる。これにはかなり訓練が必要だが、あなたにはできる。

・あなたには反発する複数のエゴがいると思う。喧嘩を傍観する感覚で、エゴに感情移入しない。それはエゴを大切にしているようで実は相手にしていないし、エゴと自分の距離を取って見ることができている(飲み込まれないでいられている)状態。自分も入り込むことで三つ巴になってしまう。

・あなたの強いエゴとしてジャッジするところがある。「なきゃ」が強く、それが自分の声よりも勝つ。

・今まで自己啓発本を読んだりインナーチャイルドセラピーを受けたりしてきたことも、一種のエゴが行なっているもの。だから結局うまくいっていない。エゴに対してエゴで行動している。

・日本特有だが、自分の気持ちを押し殺してまでルールに従うような教育を昔からされているので、自分の気持ちが分からなくなる人は多い。

・エゴは基本的に過去か未来のことしか言わないので、自分がエゴに飲み込まれている状態では「今」に目を向けることはできない。できなくて当然だった。

・溜め込んできたものがかなり多いため、楽になるまではカウンセリングを利用してみて欲しい。言わない方がいいかもというのもエゴ。言っていい。

・感情の書き出しも嫌だ、面倒くさいとエゴが言っている。それすらも書き出して良い。感情もエゴも排泄物と同じで生きてる限り毎日生み出され流ものであり、なくなるものではない。

サプリメントは自分の可能な範囲で使用する。使用する量が減って疲れることがあっても、「まあ栄養足りてないし、仕方ないか」くらいに考える。

・処方する薬が変わる人と変わらない人がいる。あなたの場合は、教わったことをちゃんと実践して自分自身変わることができている。これまでだけでもだいぶ変われてきていて、状態が変われば出す薬も変わる。実は、こうやって教わったことを実践して変われる人はそう多くないし、そもそも実践することができるという人も少ない。これはあなた自身の素直さ・努力できるところの素晴らしさ・良いところ。

 

⬇️それを受けての自分の感想。

・カウンセリングなのに6〜7割くらい先生が話していた笑

・カウンセリングを通して、適応障害で自分の気持ちが分からなくなっていることに気づいてから、分からない自分の気持ちを大切にしようとした結果、「エゴ(認知の歪み)」を自分の気持ちと思い込み大切にしたことでそれに振り回されてしまっていたと気付いた。

・「エゴが騒いでいる」という認識だけではコントロールできなかったが、コントロールしようとしないでエゴを喧嘩している人のそれぞれの主張だと思い、エゴに感情移入しないというのも分かりやすかった。感情の吐き出しというよりもエゴの主張についてきいてみることの方が分析好きの自分には心に無理なくできそうだと思った。少なからず、正しさに囚われ他人にも厳しいエゴと、それが良くないと自分を責めるエゴがいる。

・実際上記のようにしてみると、エゴは割とすぐに黙るので飲み込まれることも無くなった。エゴの主張を聞いていると、「だってそれじゃああなたがつらいじゃない」と言ってくることが何回かあって、振り回される苦しさはあったけどエゴはエゴなりに自分を守ってくれていたんだなと分かった。

・今の学校教育は生きにくい人間をどんどん作っているように感じられていたが、改めて教員を辞めて良かったと思った。自分を大切にできない人間がそれを子供に教えることはできない、これは本当にその通りだと改めて思った。

・自分なりに試行錯誤して(散々エゴに振り回されて)、その上でもうまくいかないと悩んでいた今だからこそ、先生のアドバイスが次々とすんなり入ってくるんだと思う。自分で試行錯誤していなければ、もっとエゴに取り憑かれたまま話半分にしか聞いていなかったかもしれない。

・「エゴ」=自分自身だと思ってはいけない。それを含めて今までの自分があったかもしれないけど、エゴ自体が自分なのではなく、自分自身に貼り付いた汚れ・淀み・ゴミのようなもの。大切にする自分は、うまく言えないがそれらを拭い去った赤ちゃんのように純粋・純潔な部分なのではないかと思った。