種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

何かをしようとしない

「何もしないができない」と似たようなフレーズになりました笑

そして似たような話になります。

 

先週末、久々に良い運気が自分の中にぐわぐわ入ってくるあの感覚になりました。自分はまた大きく良い方向に変われると確信に近いものがあって身震いしたんですが、同時にそれを止めさせようと自分の思考がガーっと覆い被さってくる感じにもなって。

通院時に教わった通り、今までの生存戦略のスタイルから大きく外れることを危惧したエゴが騒いでるんだなと客観的に思うことはできたんですが、如何せんこの前に騒いでいたエゴとはまた種類が違ったため、結局自分の本心なのかエゴなのかまた分からなくなり飲み込まれかけて苦しくなったので通院しました(^_^;)

&、生理中ということもあり実家のことで泣いたりしてたのでそれも追加。

 

今回騒いだエゴがどういうものだったかというと、「自分を癒すために何かしたい(しなければならない)」「自分を癒すには何をしたら良いのか(正しいのか、正解か)」というものでした。こうやって改めて奥に潜む真意を見てみると、「なければならない」「正解は何か」という発想が出てきてる時点で十分エゴなんですが、前回騒いで飲み込んできたエゴは「私は幸せになってはいけない」という完全に禁止のエゴだったので、「自分を癒すためには」という甘い目的に騙されて結局飲み込まれました😅自分に優しく聞こえるのに実はまた自分を苦しめるものだったなんて、すごい罠😇

「自分の癒し方が分からない」というのは何度か話題にしたかもしれません。思えばそれは10年程前の高校時代から始まったと思います。使命感・義務感から教員になることを決め第一希望の大学に入学するために、自称進学校の膨大な課題量をこなしました。そもそも勉強が好きではないので自分で自分の尻を叩きながら平日祝日問わず予習・課題に取り組み続けた3年間でした。この頃から休みの過ごし方が分からなくなり、義務感から常に何かしら自分に課して強いるような頑張り方で大学4年間を過ごして、結果適応障害になりました。適応障害になってようやくそこを問題視するようになったものの、自分で自分を癒す方法がずっと分からないまま今に至っている状況です。

こんな状態で自分がちょうど悩んでいたタイミングで、職場の先輩と話をした時に「物事を楽しんで笑顔でいること、これが結局は大きなデトックスになり万病も防ぐ」という話を聞いて、今の自分に必要なのはまさにこれだと思い、より焦燥感に拍車をかけることに。

 

 

今回はそんな状態で通院し、先生にバッサリ言われたことをまとめます⬇️✍️

・生理中にヘム鉄のサプリメントを飲んで、身体が楽になれたことは良いことだった。

何かをしようとしなくて良い。何かしようと思って動こうとするのもエゴ。「何かをしなきゃ」とエゴが騒いでるなと認めてあげるだけで良い。何かをしないと自分に価値がないと思うかもしれないけど、何かをしなくてもあなたはあなたであり十分価値がある存在。猫を飼っている時にそこに猫がいるだけで十分良かったはず。人間だって宇宙レベルで見れば同じようなもの。

・エゴなのか自分の気持ちなのか分からない、「自分=疲れている」という思い込みがあるかもしれないとのことだが、エゴによって動くことは疲れる。純粋な自分の気持ちというのはすごく穏やかで愛に溢れているもの。それ以外の感情はエゴから来るものだと思って良い。

・「エゴに飲み込まれないように」ではなく、飲み込まれても良い。飲み込まれても、その度に自分で「飲み込まれちゃったな」と戻って来られればそれで良い。その繰り返し。

・父への憎しみと、母が報われないまま亡くなってしまったらどうしようと不安になって泣いたとのことだが、父親が悪者、母親が被害者というのもエゴ。エゴはレッテルを貼る。

・お父様とお母様の関係性は、子供であるあなたには分からない繋がりもある。お母様がそこから離れようとしないのは、その関係性にまだ心地良さを感じているから。人間は自分で変わろうとしなければ変わることができないし、苦しいと言いながらもずっとその状況に心地良さを感じて抜け出そうとしない人たちもいる。あなたはこうやって変わろうと時間もお金も使って努力している。悲しいけれど、結局人間はそうしないと変わることができない。

・お母様が幸せになれないのはあなたの問題ではない。課題の分離はその通り。これまであなたがお母様を思い遣って何度手を差し伸べてきても全然意味がなかったでしょう。お母様が幸せになるためにはお母様自身がそこから抜け出すよう決意して行動しなければならない。

・家族と同じ土俵に立たない。同じ土俵に立って三つ巴になっているから苦しいし辛い。

・あなた方姉妹が幸せになることと家庭のことは別問題。あなたたちは幸せになって良い。お母様を幸せにしたいなら、あなたがまず別の周波数(次元)レベルで幸せになる必要がある。そこから手を差し伸べる。

 

⬇️それを受けての自分の感想

・「何かしたい(しなきゃ)」と強く思っていたのに、「何かをしようとしない」「そう思っていることを認めてあげるだけで良い」と言われたので拍子抜けというか困惑した笑 正解を求めていたところも大きかったので、寧ろこれをしなさいと提示されなくて良かったかもしれない。提示されてたら今度はそれに躍起になって、結局は変わらなかったと思う。

・義務感だらけの自覚はあったが、エゴだらけの生活でもあったから疲労が通常運転な生活になっていたんだと改めて思った。何か特別なことをしようとするのではなく、まずはエゴと自分を離していくことが必要なんだろうと思った。それが疲労を無くし、心から純粋に物事を楽しめる状態を作ってくれる(結果何かをしようとしなくても自然と癒される状態を作る)ことになるんじゃないか。

・自分のことでは人前で泣くのを堪えることができるが、家の話が出てくると涙を堪えることができなかった。そんだけ大きなもの抱えてきたんだからしょうがないよと言ってもらえた。

・苦しみながらもその状況に心地良さを感じて留まり続けるというのは、今までの自分のように、自分をひたすら虐め続けて被害者(弱者)で居続けることも当てはまるのではないかと思った。

・「家族と同じ土俵に立たない」というのが全てを物語っている気がした。これはこの前母にも「先生がエゴと同じ土俵に立たないでって言ってるように、家でも家族の間に入って同じ土俵に上がってるからしんどいんじゃないの」と言われたことだった。エゴ同士の戦いに参入しないのと同じようにやってみたい。

・人間は自分で変わる努力をしないと変われないのなら、父親も父方の家族もみんな希望の見込みはない。そこにいつまでも悩まされ続けるのは不毛。だったらその不毛さから解放されて、別次元から母を助けたい(母が変われるかは母次第)。

・今でも自分の癒し方がずっと分からないままいるのに、適応障害からここまで回復できたのはやはりお友達🐈のおかげによるものがかなり大きいと思った。私情抜きで考えても、自分で自分を癒せないままで彼女もいなかったら、こんなに回復することはとてもできなかったと思う。

・そんな大きな存在である彼女と同じように自分も価値ある大切な存在と思えたら、心がすごくどっしりして安定した生活になるんじゃないだろうか。

・先生の教えは、認知が歪んで凝り固まった私にとって矢に例えると、正面から思い切り突き刺さるような教えというよりは、拍子抜けするようなことでも結局は私の周りを何周かして確実に的を得てくるような感じがする。

 

 

この投稿の序盤でまた髪を触り唇の皮をむき始めたので、何度も言いますが結局これ自体も「やった方がいいから」というエゴによる行動だからストレスになるんですよね。自分の大きな変化を逐一残しておきたいっていうのもある意味真面目すぎるのかも…(°_°)後半も分析っぽくなってきて疲れた😓

適応障害になった時は、発症の過程を振り返ることで自分の思考癖・行動を見直そうと思って漫画にしていたんですが、今はそんな重苦しい過去のことを振り返るだけでも過去の窮屈な思考にもってかれてしんどいです。

「感情も認知の歪みも排泄物と同じ」、「今の自分を見て大切にする」ということを知ってから、実は過去のことって今の自分にとっては然程大切じゃないんだと感じるようになりました。この表現だとかなり語弊があると思うんですけど、今の自分を作った重苦しい過去をいつまでも大切に持っておく必要がないというか。というか、ドロドロに腐敗したような重苦しいものをいつまでも大事に持ち続けている時点で今の自分にも良い影響はないというか。自分が苦しんできたからこそ執着してしまうところはあると思うんですが、それを手放す勇気が必要なのかもしれません。これまでの頑張りを含めて今の自分を大切にする、それだけで十分なのであって、それは過去の自分を蔑ろにすることではないんですよね。

過去のことを掘り下げ過ぎない、そんな備忘録のあり方も今後考えていこうかと思います📝🌲

 

先日、妹と薬石浴に行きました。個人的には温泉や陶板浴よりも心身ともにリフレッシュとなった気がします。同じくらいの歳の常連さんもいて、私もこんな休日の過ごし方をしたいと思えて、とても良い刺激になりました。何かをしようと躍起にならず、気になることは余裕がある時にやってみる。それくらいの感覚でやってみようと思います☺️