種をまく日々

生き下手人間の奔走する日常

「もうちゃんとしたくない」

って声が、先日自分の中から聞こえました。

こんなこと今まで思ったこともなかったので、ちょっとびっくり。これはエゴではなく、ようやく自分の本心が絞り出せた声なんじゃないかな。

この声を聞いて、やっぱり自分は生存戦略で真面目・しっかり者を貫いてきた、本当は適当が良い人間なんだと気づく。自分は根っからのクソ馬鹿真面目人間だと思ってきたけど、どうやら違うみたい。

自分の本当の声を聞こうと躍起になっても全然聞こえなかったのに、いろんなものが楽になって解放されてくると自ずとすごく大事なことを自分自身が伝えてきてくれるようになっている気がします。

 

そんなここ最近は、季節の変わり目なのかまた心身ともにだるくなってきていて、久しぶりに死にたいと思うことが何度かありました。

「死にたい」と言うことは悪いことじゃない。そこまで苦しい状態になってるってことだから。それを分かって労わってあげられるくらい成長しました。

季節の変わり目だからだるいんだと思っていたら、先生が「それよりも、自分自身『ようやく自分の声を出して良いんだ、聞いてもらえるんだ』と分かって安心したっていう方が大きいと思うよ」と言われ、そう言われるとまた季節や気圧でしんどくなっている自分を責めなくて良くなりました。

今日はそんなここ数日で感じたり考えたりして溜まってきたことをただただ吐き出します✍️自分にとってすごく大きな気づきというものではないんですが、割と核心をついてくるような気づきがあって、これは残しておきたい。最後にまとめますので、興味のある方のみ読んでやってくださいm(_ _)m

 

先日、先生が「今まで当たり前だった状態が分からなくなってきたのは、あなた自身が『変容』してきたということ。『変化』は元に戻ることもあるけど、以前の状態に戻りにくいのが『変容』。あなたはそこまで変われてきている。」と話してくださいました。

同じ「だるい」でも、ちゃんと自分からの声を受け止め大切にしようとする今と、しんどくても自分に鞭を打ち続けて結果的にただ時間をやり過ごすだけになってしまっていたこれまでとは全く状態が違います。

今現在もしんどいですが、頭の中にあるごちゃごちゃして毒素になりかけている思考をばーーっと吐き出して、今日は早く休みたいと思います🛌

 

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・今まで自分は良い子ちゃんとして、なんだかんだで敷かれたレールの上を歩いていたからこそ、「自分の行動に責任をもつ」という発想が全くなかったんだと思った。

・「自分の行動に責任をもつ」というのは、実家に対してだけでなく全ての人間関係にも言えることだと思った。自己中心的で私を大切にしてくれない元友人からの誘いを断るだけでもかなり葛藤して苦しんで、自分は交友関係においても相手に嫌われないようにかなり気を張っていたんだと分かった。それが友人であろうが親や恋人だろうが、自分を大切にしてくれない人と関わり続けることは自分の品位を下げることだとネット記事を読んで分かった。人に都合よく搾取されるだけでなく、自分の「嫌」という気持ちを無視し続けることで、その分自信もなくなり自分の価値も下がる。結局は典型的なメンヘラの例と同じだったんだと思う。親もその友人も、今まで何度も意見を真っ直ぐ伝えてきたがそれらを聞き入れ変わろうすることすらなかった。友人の立場として、私という数少ない友達を失うことでその子が何かに気づけたらそれは良いことだし、離れる方がお互いにとって良いことだと思えば納得できた。

・同僚の配慮ない言葉にかなりイラついた。一言それだけでもかなりイラつくのに、これまではそれらを制御するだけでなくそう思う自分を責め続けてきて、それが実家・友人・職場全てにおいてだった訳だから、そりゃあメンタルもおかしくなると思った。前に先生に教わったことだけど、小さなことにイラついたって良い。単純に「嫌だ」と感じるだけでもかなりの不快感があるのに、それと相反する思考を持ち出してきて自分に押し付けるからこそ余計にストレスが溜まったんじゃないかと思った。

・学生時代からリセット症候群的なところがあったが、反動のようなものだったのかもしれないと思った。こんなふうに自分の気持ちを押し殺すことが日常茶飯事だと人と関わるストレスが日々蓄積されていくので、ブロックやアカウント削除によって強制的に相手との距離を作っていたのだと思う。今はそういうやり方ではなく、そうする必要もないほどに自分の軸を心のど真ん中に揺るぎなく立てることで、相手に振り回されない=相手との距離を取れるようになりたい。

・「大人になったんだから、自分の行動に責任をもつ」と教わって、私はいつまでも「⚪︎⚪︎家のこども」として過ごし続けていたと感じた。親の監護下から抜けて自分の人生を歩んで良いはずなのに、その意識が抜けないからいつまでも親への期待を捨てられない子供として家に通い続けていた。先週のヒロアカアニメで、実家のことに何年も縛られ続けている敵達を見てすごく共感したし、結局実家による生きづらさを抱え続けるということはこういうことなんだろうと思った。

漫画「僕のヒーローアカデミア」より

漫画「僕のヒーローアカデミア」より

・いくら自分が楽になってきて成長もしてきているとはいえ、実家に帰るとかなり生気を吸い取られる感じがした。これは意識だけの問題ではなく、身体に染みついた体の強張りや息の浅さ、視線が泳ぎ続けるなど、そういうところからも来ているんじゃないかと思った。

・父親への憎しみから「死ね」と思い続けてきたことや、自分の精神が疲弊して「死にたい」と何度も思ったことなどから、「死」というものが身近に感じられてしまうというか、「死」に対しての距離感が近い、日常に「死」の概念が入り込んでいるのが当たり前になってしまっていたと改めて思った。だから、「『死にたい』なんて言わないで」と言うような、そういう発想に縁がなく暮らせている人たちは理想そのものなんだろうと思った。歴代の猫たちがいなかったら、私たちは犯罪者になっていただろうと妹と話した。心は猫に守られ育てられたようなものだと思った。

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